地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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22:07:31
 拙稿「韓流をモデルにするクールジャパン」に対して様々なご意見を頂戴した。「本当に日本のコンテンツが日本ブランドの構築に繋がり、日本観に影響するならば、中国や韓国で戦略的に展開したらどうか」と記したことに対して、「そんな必要はない」、「なんで中国・韓国にこだわるのか」という意見が寄せられた。
 記事でもいくつか例を挙げたが、「某国の文化は好きだが、某国は嫌い(あるいは関心がない)」といった話は枚挙にいとまがないし、恐らく多くの人にとってコンテンツや大衆文化とその原産国への感情・態度は基本的に分離して考えられているように思われる。ところがクールジャパンを推進する人々からは、その逆の意見、つまりコンテンツに接することで、その原産国への感情や態度に良い影響が現れるといった話がよく聞かれる。彼らが本気でそのように信じているのなら、中国や韓国で重点的に展開しないのは不思議じゃないだろうか。ちょっと皮肉に聞こえるかもしれないけど。
 別にコンテンツを使って中国や韓国の対日感情を好転させよと主張しているのではない。拙稿に記したように、中国や韓国は日本にとって重要なパートナーと喧伝されている一方で、反日感情は根強く、日本は嫌いな国の筆頭にあげられる。またそれと同時に、違法流通の隆盛を見ればわかるように、日本のコンテンツへの需要は高い(『半沢直樹』は中国でも評判。もちろん違法動画を通してだが)。クールジャパンのロジックに従って、日本イメージを改善するためにコンテンツを活用する条件が揃っていると思われるのは、現状では中国や韓国が思い浮かぶという話である。もちろんこの条件に当てはまるのなら、別に中国や韓国以外の国でも構わない。
 コンテンツが人の考え方になにかしらの影響も及ぼすこと自体は言を俟たない。もしコンテンツに人々の国家観へ及ぼす影響があるならば、それは「嫌いなもの」を「好きなもの」に変えるほどのものではなく、「好きなもの」を「もっと好きなもの」にする程度のものなのかもしれない。マスメディアの効果に関して、受け手(読者とか視聴者)の考えを真逆に変える力(転換力)はないが、考えを強めさせる力(補強力)はあるという説があるが、ここで論じていることもそれに近いのかなと思う。日本に好印象を持っている人が日本のコンテンツに接して、もっと日本好きになったり、日本に特別な印象を持っていない人が日本のコンテンツに触れて日本を好きになることはあるかもしれないが、日本を好きではない人が日本のコンテンツに接しても日本好きにはならないのではないかという仮説である。これには「日本を嫌いな人はそもそも日本のコンテンツを見ようという気が起きないのでは?」という反論があるかもしれないが、そこは上述したように、受け手が国家と大衆文化を分離して考えていれば相反しないと考えられる。いずれにせよ、こういった点はきちんと実証的調査が行われると面白いと思うが、あまり見たことがない。
 拙稿への反応でもう一点興味深かったのは、実際にクールジャパンの施策に関わる人からの反応で、曰く「クールジャパンが参照しているのはポケモンであって、韓流ではない」とのこと。1つのコンテンツがメディアミックスやキャラクタービジネスへと展開する好例としてポケモンを挙げるのは理解できるが、拙稿はクールジャパンのそういった側面を論じたものではない。昨今クールジャパン政策の中で力点が置かれていて、実際に関連報告書などで目にする機会も多い「コンテンツを活用した他産業の海外進出後押し」、もう少しわかりやすく言うと、日本のコンテンツを使って日本の電気製品とか化粧品とか食品といった消費財とかサービスを海外市場でマーケティングするというモデルに関して、「そんなに上手く行くもの?」と疑義を呈しているのである。
 経済産業省が昨年出した「クリエイティブ産業海外展開強化に向けた調査報告書」では、4つのコンテンツを成功事例として分析対象としている。1つは『おしん』。いまだに世界で最も有名な日本のドラマである。ただ、多くの国に無償提供されたわけで別に大きなビジネスにはなっていない。名作とはいえ、30年前のドラマにいまだに拘るのは、それだけ日本の放送番組の海外展開が停滞していることの証左だろう。2つ目は『料理の鉄人』。海外市場での番組リメイクの代表例として取り上げられている。いわゆる「フォーマット販売」だが、基本的に現地化されるので日本色は薄いし(それってクールジャパンと相反するのでは…?)、これまではビジネスとしてもそれほど大きなものではなかったと思う。3つ目が上述の『ポケモン』で、ライセンスを使ってメディア横断的に、またキャラクターグッズへと展開していく例である。そして最後は日本から離れて『韓流』である。「各国では韓国コンテンツの普及が進展し、人気が向上」、「他産業における韓国製品のシェア拡大・プレゼンス向上」(今話題にしている点)、そして「韓国全般に対するイメージの向上」(本稿前半の話題とシンクロする)と、クールジャパン関係者が羨望してやまなさそうな、理想的なコンテンツの海外展開モデルが紹介されている。ちなみに見出しページを除いた実質ページ数は、おしん1ページ、料理の鉄人1ページ、ポケモン4ページ、そして韓流は9ページである。
 別にクールジャパンが韓流をどれだけ参照しようが、意識しようが、あるいはモデルにしようが、理に適っていればいいと思う。でも、この韓流の展開パターンはそれほど信頼に足るものなのだろうか、仮にそうだとしてマイナス面はないのか、そして、諸条件が日本のコンテンツやブランドと韓国のそれらでは異なるのに、なぜ韓流モデルにそこまでこだわるのか、というのが前回のエントリーの要点である。
 例えば、電気製品とか化粧品ブランドをドラマに露出するのだって、そのメリットとデメリット、どういう見せ方をしてどういったターゲットに対していかなる効果を目指すのか、対象市場の特性等々、熟考しなければならない点は多い。こういった手法はハリウッド映画やアメリカのドラマではよく見られ、専門に扱うエージェンシーも多いが、翻って日本ではこれまであまり浸透しなかった手法なのでノウハウも蓄積も少ない。クールジャパンの目玉プロジェクトだったインド版『巨人の星』の例を考えると、言葉は悪いが「とにかくブランドを登場させれば何かいいことあるのでは?」くらいにしか考えていなかったのではないかとも思える。また、日本ブランドを進出先のコンテンツで露出させればよいのであって、なぜわざわざ日本のコンテンツと抱き合わせで海外展開しなければならないのだろうかという疑問も浮かぶ。
 前にも書いたのだけど、僕は日本のコンテンツが海外で受容されることは素直にうれしいし、必要ならば官民一体で海外展開に取り組んでいってもいいと思う。また、元々コンテンツを制作する立場にいたので、売れることが絶対的とは言わないまでも、かなり重要であることも理解しているつもりだ。しかし、経済産業省が「コンテンツ自体で儲けるビジネスモデルではなく、プロモーションツールと割り切って(コンテンツを)利用する発想も必要」などと掲げるのは、やはりぞっとしない。仮にそう割り切るとしても、最初の国家ブランド案も、ここで述べている他産業への経済波及効果も、まるでコンテンツに魔法の力があるかのように過大な期待を煽るような文言が目につき、その理論的根拠が不足している点が気になってしまうのである。
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13:17:13
 田原総一朗さんが書いていたと思うのだが、かつて日本には「ソ連嫌いのロシア好き」という言葉があったらしい。国家としてのソ連は嫌いだが、ロシア民謡などは好きといった意味である。同様に、共産党独裁の中国は嫌いだが、深い歴史を持つ中国文化に魅かれる人は多かった。両国の例は、国と文化の関係の捉え方としては自然なものだと思う。「政治と大衆文化は別」という言辞は陳腐な感じがするが、普遍的な共感を得るだろうし、今さらここで強調する必要もなく、そうあるべきだと思う。
 先日の宮島理さんの記事のように「日本は嫌いだけど日本文化は好き」もあって然るべきである。世論調査では「日本は嫌い」という意見が多く聞かれる韓国や中国でも、日本文化を好む人は多い。以前、韓国における日本のポップカルチャー受容を調査するためにフォーカスグループでヒアリングを行った際に非常に印象的だったことがある。40代の人たちはとにかく日本否定で、「日本の大衆文化なんてもってのほか」という意見が出たのに対し、20代からは「日本のものでも良いものは良い」という声が聞かれた。若者らはどこの国のものであろうと、面白かったり、カッコ良ければ受け入れるようだったが、中高年にとっては「日本のもの」が特別な意味(もちろん悪い意味)を持ち、内容ではない。ただ、この話にはもう一展開あって、では韓国の若者たちが日本を好きかというと、別に好きではないのである。むしろ政治や歴史問題を考えると、日本という国に良い印象は持っていない。
 前にもブログ「ポップカルチャーに過大な期待をしていいものか」で書いたのだが、クールジャパンを推進する政治家や官僚たちは「日本のポップカルチャーが外国人の日本観を変える」と意気揚々に話すが、本当にそのような力を信じているなら、なぜ韓国とか中国で戦略的にクールジャパンを展開しないのか不思議である。彼らの言葉を借りれば、韓国や中国は「超重要なパートナー」だったり「価値観を共有している」わけで、そうであれば対日感情の好転を願うのが当然だろう。未来志向を掲げるのならば、若い韓国人・中国人たちの対日感情は特に大切なはずだ。彼らが好むアニメとかアイドルとかJ-POPには日本ファンを増やす力があるのではなかったのか?「韓国とか中国は日本のポップカルチャーには規制があって…」などと言い訳が聞こえてきそうだが、そこをなんとかするのが政治ではないだろうか。いまだに日本のドラマやバラエティ番組は韓国の地上波放送から事実上締め出されているわけだし。
 その一方で、クールジャパン政策では相変わらず、「日本のコンテンツがその他の産業に経済波及効果をもたらす」という話がまことしやかに語られている。それで、関係者に実証的な裏付けを質すと、決まって出てくるのが「韓流がそのように成功したから」という話である。クールジャパンの名のもとに、税金を使ってコンテンツの海外展開をすることに批判は多い。そこで他産業も巻き込んだ経済波及効果を打ち上げたものの、理論的根拠が少ない。そこで韓流モデルにすがるわけである。経産省JETRO日経新聞も、判で押したように韓流が韓国製品の輸出に寄与した話を取り上げている。しかし、コンテンツ普及とそこに登場する製品のセールス間の因果関係が不明である点に関する指摘は皆無である。そもそも、本当にコンテンツにそのような力があるのならば、なぜ韓流最大の市場である日本で韓国製品・ブランドは浸透しないのだろうか。
 個人的に、クールジャパンが韓流の後追いを目指すことには違和感を覚える。日本と韓国ではコンテンツをめぐる諸条件が違う。韓国がやったように、まずはコンテンツに触れてもらうために廉価で海外にコンテンツを提供したり、海賊版に目をつぶるような覚悟が日本のコンテンツホルダーにあるだろうか。しかも、ベトナムや台湾など、歴史的経緯から韓国に対する感情が悪い市場で敢えてコンテンツを流通させるようなことを日本のコンテンツ実務家や政策担当者はできるだろうか(くどいようだが、それならば是非とも韓国・中国で重点的に展開してほしいものだ)。
 また、日本と韓国では諸外国における消費財ブランドの認知度も異なっている。コンテンツを使ったマスプロモーションは新興ブランドの認知度を比較的短期間で高めるには有力かもしれないが、十数年前までほとんど海外市場での知られていなかった韓国製品と違って、多くの日本製品はコンテンツを使って認知やイメージアップを図る必要性はそれほど高くはないだろう。ちなみに今、中国のブランドがハリウッド映画での露出を切望するのは上記のようなロジックである。
 韓国政府がコンテンツ産業の支援に大々的に乗り出していることを賞賛する声もよく耳にするが、それもちょっと考えてみる必要がありそうだ。貧困、格差、就職難、自殺など、日本以上に問題が山積している韓国社会で、直接生活に関わらないコンテンツ分野にカネがつぎ込まれることに対して、韓国の人々の反応はいかなるものなのだろうか。自分たちの文化的自尊心が充たされて満足できるものなのだろうか。このように、クールジャパンが韓流をモデルとするにしても、その前に検証すべき点は非常に多いように思われる。

11:24:10
 ずっと注目していたインド版『巨人の星』(昨年12月23日放送開始)だが、昨日の朝日新聞によると、既に現地での放映を終了したようだ。昭和40年代中盤に放送されたオリジナル版は3年半にわたる放送だけに全182話と話数が多く、長編大作のような趣きがあったが、インド版は全26話で、オリジナルの大リーグボールにあたる魔球が完成した所で終了である。「えっ、そこから紆余曲折があるんじゃないの!?」と突っ込みたくなるところだ。今年2月の産経新聞や5月の日経新聞では、来年以降続編シリーズを作る話が進んでいるようだったが、昨日の朝日新聞はそのことには触れておらず、日本での放送などマルチユースの予定だけを伝えている。
 果たしてこの作品はインドで成功したと言えるのだろうか。先の朝日新聞によれば、視聴率は0.2%どまりだったが、チャンネル数が700を超すインドで「大人も楽しめる異色のアニメ」などと話題を呼んだそうである。実際のところ、市場規模や視聴習慣の異なるインドでの視聴率を日本のそれと単純に比べられないとは思う。ただ、0.2%という具体的な数字に関して、かつて産経は「(インドで)先行する日本アニメ『ドラえもん』と『クレヨンしんちゃん』に視聴率で肩を並べ、好調な滑り出し」と伝え、日経は番組製作者の「かなり健闘している」という言葉を紹介していたのに比べて、朝日の記事からは「あまり振るわなかった」といった感じが伝わってくる。この0.2%というのは平均視聴率だと思うが、シリーズを通して右肩上がりだったのか、あるいは逆に下がったのか、それによっても評価は異なってくると思う(2月の時点でも6月の時点でも0.2%ってことは、ほぼ増減なしのフラットだったってことだろうか?)。
 また、番組の質的評価に関しても、産経が「アニメではなく、ドラマだ」、「教育的な視点も盛り込まれている」と作品を高く評価する声が寄せられていると、現地の絶賛ぶりを伝えていたのに比べて、昨日の朝日は「大人も楽しめる異色のアニメなどと話題を呼んだ」と控えめなトーンである。こういったトーンの違いが生じるのは、産経と朝日の普段の論調の違いとか、この作品へのコミットメントの違いとか、色々原因があるのだろうけど、並べてみると、最初から中盤までの作品への期待とか盛り上がりが最後までは維持されず、終わってしまったようにも見受けられる。
 この作品に限らず、コンテンツの海外リメイクに関しては、成功すれば、ローカライゼーションが上手く行って現地の人たちから共感を得られたと評され、失敗すれば、その逆のことを言われることが多い。確かにそういう面もないわけではないが、後付け評価に過ぎないとも思う。実際、入念にローカライゼーションをしてもコケる作品もあれば、原産国そのままの内容でもヒットするコンテンツもある。インド版『巨人の星』は設定を日本の野球からインドのクリケットに変えるなど、徹底してインドの視聴者に合わせたローカライゼーションが話題を呼んだ作品でもある。このように文化的障害を取り除いた点がインド市場でどう機能したのかが知りたいところだ。
 ただ、僕がインド版『巨人の星』に注目するのは、以上のような作品内容とインドでの受容に関する関心からだけではない。これまで随分喧伝されてきたが、インド版『巨人の星』は、日本のコンテンツの海外展開を推進する経産省が「クールジャパン戦略」のモデル事業に位置付けており、安倍首相も去る5月17日の「成長戦略第2弾スピーチ」で直々にこの作品に言及したように、国家プロジェクトと呼んでもいいような作品なのである。徹底してインド現地化(=日本色排除)を進めた作品がどのようにクールジャパンに寄与するのか。それは、この作品内に日清やスズキ、全日空などのブランドが登場し、いわば日本ブランドのショーウィンドウ的役割を務めているからである。この点に関しては、以前にブログ「インド版『巨人の星』で考えた」でやや批判的なことを書いたことがある。子供や青少年が見るアニメ作品に堂々と実在のブランドが登場することに違和感を覚えたからである。
 ただ、映像コンテンツにおけるブランド露出のことを色々と調べていて、思う所がある。インドは「ボリウッド」と呼ばれる、世界一の製作本数を誇る映画大国だけあって、実は映画におけるブランド露出は盛んに行われており、プロダクトプレイスメント市場は毎年10%以上の成長を記録している。これ以外に、金銭のやり取りがないバーター契約もあるだろうから、実際には相当のブランド露出が行われていると考えられ、人々は作品に実在ブランドが出てくることに慣れているのかもしれない。だとすれば、日本ブランドは「オリジナルは日本だが設定をインドにした子供・青少年向けアニメ」でわざわざ露出させなくとも、ボリウッド映画で露出させた方がリーチがはるかに大きく、費用対効果も大きいのではないかと思える。実際、アメリカのブランドなんかは、これも成長著しい中国のプロダクトプレイスメント市場を見込んで、中国映画にブランド露出を展開中だし、逆に最近では中国ブランドのハリウッド映画進出も見られる。このようにコンテンツの国籍とブランドの国籍は全然一致していないのである(作品の舞台とブランドの整合性はもちろん必要だが)。インド版『巨人の星』はクールジャパンの一大プロジェクトとしてコンテンツとブランドのマッチングを謳うが、果たして抱き合わせの必然性があったのかという気もする。
 もう1点気になるのは、インド版『巨人の星』での日本ブランド露出の効果に関する測定、例えば視聴者のブランドに対する認知が上がったとか、イメージが向上したとかは行われているのかという点だ。日本ブランドの露出がこの作品で重要な位置を占めていたのならば、作品の評価はこういった面からもなされてしかるべきだと思う。まさか、製作サイドもスポンサーも作品にブランドを露出させればそれでOKだとは思っていないだろが、測定結果を踏まえてシーズン2以降(もし作られるなら)では、ブランド露出の方法を修正したりする必要があるのは当然だろう。

 

11:33:43
 クールジャパンに関しては、これまで何度かブログで書いてきたのだけれど、最近の議論の高まりを見て、もう一度自分なりに問題点を整理し、提起する必要があるように思う。まず、前提として、日本のポップカルチャーが海外に広がり、世界中で受容されることを快く思わない日本人はそんなに多くないだろう。個人的にも実際アメリカにいて、定番のキティちゃんやポケモンから最近のきゃりーぱみゅぱみゅまで、日本のポップカルチャーを目にしたり、耳にしたりする機会はかなり多いが、すごくうれしいとは言わないまでも嫌な気分はしない。ただし、民間企業の努力とファンの力で広がっていくのではなく、日本政府がそれを広めようとすることに対しては、「なんで税金使ってやるの?」と疑いをはさむ人が多いというのも感覚的に理解できる(ちなみにこれも批判が多い「クールジャパン」という名称はそもそもイギリスの「クールブリタニカ」の真似だし、使っている人も別に「かっこいいでしょ?」と思っているわけではなくて、何か日本のポップカルチャーの総称があった方が便利かなという程度の意味しかないと思う)。
 ポップカルチャー振興、特にその海外展開を国が後押しする根拠を中村伊知哉先生が書かれている(「ポップカルチャー政策は必要なのか?」)。政策の根拠として納得できる部分がある一方で、釈然としない点もあった。まず、コンテンツ産業の拡大ではなく、コンテンツを触媒として、家電や食品や観光などを含む産業全体が伸びることが狙いとなるという点である。いわゆるコンテンツの経済波及効果であり、具体的には映画なり、テレビ番組なり、アニメなりに実在の企業や製品を登場させて、プロモーションやブランディングにつなげる手法、いわゆるプロダクトプレイスメントを指すと考えられる(それ以外の主なところではロケ地巡礼といった観光客のインバウンド効果だろうか)。
 プロダクトプレイスメントに関して、以前のエントリー(「映像コンテンツでモノを売るというけれど…」)にも記したが、これまでコンテンツが消費財やサービスの国際マーケティングに寄与したケースは多くない。実はこの点に関して、現在アメリカで調査しているのだが、プロダクトプレイメントが一般的な手法として用いられているハリウッド映画でも、そこに登場した消費財・サービスのセールスが映画輸出先の市場で増加したとか、好感度が上がったという事例を探すのに苦労している。韓国は韓流が海外市場での韓国製品プロモーションに貢献したと言うが、これもコンテンツ流通と製品認知・受容の間に因果関係があることを報告している資料は見たことがない。つまり、「コンテンツでモノを売る」というのは一見もっともなようだが、実は証拠が決定的に欠けていて、先月、経産省でヒアリングを行った際にも担当者に根拠が何か質してみたのだが、ハッキリとした答えは得られなかった。効力があるか不確かなものに、クールジャパンを振興する人たちは過大な期待を寄せているように見受けられるのである。
 実際、日本コンテンツにおけるプロダクトプレイスメント戦略の方向性に違和感を覚えたのが、最近クールジャパンの実例として取り上げられることの多かった『インド版巨人の星』だった。経産省の担当者は日本のアニメをインド市場に合わせて現地化し、そこに日本の協賛企業ブランドを多く登場させたことを成功と言う。しかし、これも以前のエントリー(「インド版巨人の星で考えた」)で指摘したように、子供向けアニメに実在の日本ブランドが次々出てくるのは、やはり作品としては異様だと思うし、しかもローカライザーションと言えば聞こえはいいが、コンテンツから日本色は抹消されている。つまり、企業名・商品名以外、ほとんど日本の何もインドに伝えていないのである。自国にモノを売ることを目標としてアニメを作る国をインド家庭はどのように思うのだろうか。
 あともう一点、ソフトパワーに関してである。コンテンツ振興の最終的な目標は、日本のポップカルチャーを通して海外に日本ファンを作るという話はよく耳にするが、ちょっとコンテンツの力を過大評価しすぎのような気がする。もちろん中にはコンテンツにはまったのがきっかけで、その原産国に興味を持ち、その国の言葉を覚えたり、頻繁に旅行で訪れる人もいるだろうが、圧倒的多くの人は「コンテンツ面白かった。終わり」だろう。冒頭のポップカルチャーの話と同じで、日本好きの外国人に会えば日本人としてうれしくは思うが、そういう人は国が戦略的にコンテンツを使って増えるものなのだろうか。恐らく、国がポップカルチャーに肩入れすればするほど、本来政治とは別のものであるべきポップカルチャーの受容が、その国に対する感情で左右され、多くのアンチファンを生みかねないことは、日本での韓流の受容を見れば明らかである。逆に考えれば、対日感情が良くない中国や韓国でもこれまで、非正規版のような形であったにせよ、日本のポップカルチャーが支持を得てきたのは、そこに日本という国家の影が見えなかったからとも考えられる。
 そもそも、国が本気で日本のポップカルチャーが海外で日本に対する好感度を高め、日本ファンを作る力を持つと考えているのならば、なぜ中国・韓国でクールジャパンを重点的に展開しないのだろうかという疑問に至る。文化的親和性は高いし、経済的な結びつきも強い。皮肉でもなんでもなく、ポップカルチャーにそこまでの力があるのならば、それを戦略的に使うことで両国民の日本に対する感情を改善してほしいと思う。

21:54:13
 今年1月に制作が発表された時から注目していたアニメ『巨人の星』のインドでのリメイク版『スーラジ ザ・ライジングスター』(日印共作)が完成し、今月23日から現地で放送が始まる。貧しい家庭に生まれた主人公がスポーツに打ち込み、努力と根性で立身出世するという、1960年代後半から70年代初頭に日本の少年たちを夢中にさせたストーリーは、現代のインドの少年たちにも十分訴求すると考えられたようだ。その根拠として製作側は、高度経済成長に沸き、多くの若者が成功を夢見る現在のインドは原作が生まれた頃の日本と時代背景が似ていると説明する。
 でもそんな国は他にもあるし、例えば同じBRICsの中国で卓球話とかブラジルでサッカー話でもいいわけで、なぜインドなのかという疑問が残っていた。実は、この作品は日印国交樹立60周年を記念し、協力・後援に経済産業省や外務省、インド大使館や日本クリケット協会も名を連ねるというビッグ・プロジェクトであり、さらにインド市場でビジネス展開を進めたいスズキ、コクヨ、日清食品、全日本空輸、ダイキン工業などの日系企業がスポンサーについている。コンテンツを活用し、その他産業への経済波及効果を呼びたい経産省は、インド版『巨人の星』を「クール・ジャパン戦略」のモデル事業に位置付けているとか、なんかアニメの1作品がすごいことになっているのである。
 そもそも僕がこのリメイク話に興味を持ったのは、コンテンツ現地適応化の興味深い事例に思えたからだ。オリジナルのインパクトやメッセージを保ちながら、どこまでインド市場に合わせたものを作れるのか関心があった。実際、素材となるスポーツは、野球がインドではほとんど普及していないため、クリケットに替えられている。また、実際に完成した『スーラジ ザ・ライジングスター』を見ると、『巨人の星』とは絵の感じが似ておらず、どこか欧米のアニメーション作品のようである。キャラクターデザインも、主人公は星飛雄馬と全く似ていない(かといってインド人の若者という感じでもなく、どこの国の人かよくわからない)。
 『巨人の星』といえば、いくつかの象徴的な構成要素がある。オリジナルでは親子関係が重要で、星飛雄馬と父・一徹が共に成功を目指すわけだが、インド版では仲間と共に夢を追うストーリーになっている。また、大リーグボール養成ギブスも、インド側から「子どもへの虐待と受け取られかねない」と注文が付き、バネではなく、ゴム製の自転車チューブを使ったギブスに切り替えられた。さらに、父・一徹が激怒した際のちゃぶ台返し(実はたった一度しか作品中でひっくり返してはいないといわれるが、印象的なシーンである)も、「食べ物を粗末にすることは好ましくないし、現実にありえない」とインド側に拒否され、水が入ったコップだけがのったテーブル返しに替えられた。
 色々とオリジナルとの相違点を挙げたが、こういった修正はコンテンツ現地適応化の基本である。例えば、2009年に『鉄腕アトム』がアメリカでリメイクされた際、アメリカ側は市場リサーチの結果、オリジナルのアトムでは幼すぎると判断し、大人顔で八頭身のアトムを提案してきた。手塚プロが慌ててストップをかけたが、それでも双方が話し合って最終的に出来上がったキャラクターデザインはオリジナルのそれとはかなり異なっている印象を受けた。
 難しいのは、原作に込められたものに手を加えすぎてしまえば、全くの別物になる可能性がある点だ。そうなると、そもそもリメイクする意味が失われてしまう。オリジナリティを生かしながらも現代風に、そして異文化市場の人が楽しめるように変えることが望ましい…と、一般的にはそのような説明になるのだろうが、インドにおける『巨人の星』はアメリカにおける『アトム』と異なり、圧倒的多数の視聴者はオリジナル作品を知らないだろうし、あまりオリジナルのディテールにこだわっていてもしょうがないような気もした。『巨人の星』をリアルタイムで経験している日本側製作者の思い入れはわからなくもないが、案外インド人視聴者はギブスにもテーブル返しにも何の反応も示さないかもしれない。
 むしろ、この作品で非常に気になったのは、作品中に協賛スポンサーの影がちらちら見える点だ。例えば、インド版で花形満役の人物がスズキの車で登場し(エンブレムが映し出される)、空を全日空機が舞うシーンが毎週登場する。街の風景のシーンに映り込む看板もKOKUYO、DAIKIN、TOP RAMEN(NISSIN)…。でも、これは成人が見るドラマとか映画じゃなくて、青少年が主たる視聴者であるアニメ作品の話である。ちょっと露骨すぎないか?上のリンクのNHKニュースでは「日本が得意とするアニメを通じて日本の製品やサービスを売り込む取り組みとしても注目されています」などと持ち上げているが、現地では不評を買いそうな予感がしないでもない。アニメをコミック化するとか、キャラクターグッズ展開くらいに留めておけばいいのに。

プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
Twitter:@obagoro

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