地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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21:51:44
 前回のエントリーから時間が経ってしまったが、年末年始をはさんで多忙だったということでご容赦頂きたい。さて、以前に書いた拙文「紅白からK-POPが消えた」には多くのご意見を頂いた。通常、クール・ジャパンなど日本のコンテンツ関連のことを書いても反響は大きくないので、好き嫌いはともかく、あらためて日本における韓流への関心の高さを感じた。
 今年1月5日、朝鮮日報は「韓流ブーム、映画だけが不振のワケ」という記事を掲載した。昨年の韓国のコンテンツ輸出額を見ると、音楽の1億9610万ドル、放送部門の2億2240ドルに比べて、映画は1582 万ドルに留まり、ピーク時である2005年の5分の1程度に落ち込んでいる。要は、韓国映画は韓国ドラマやK-POPほど海外市場で金を稼げずにいるという指摘であるが、その主な理由として、日本で売れないことが挙げられている。実際、韓国ドラマやK-POPと比べて、韓国映画が日本で話題になることは少ないように思う。
 韓流の生殺を昔も今も日本が握っていることは間違いない。コンテンツ輸出を推進する韓国の政府やメディアが「世界に広がる韓流」と喧伝しても、収益は世界最大の韓流市場である日本頼みである。例えばK-POPは、実に海外での売り上げの80.8%が日本市場においてであるし(産経新聞2012年5月13日「本国薄利・韓流ブームに疑問」)、韓国ドラマにしても、日本での放送本数の多さに加え、一部の日本のバイヤーが値段を釣り上げたと言われる。つまり韓流は日本市場への一極集中依存体質を持ち、そのことを韓国側が熟知しているからこそ、彼らは徹底して内容を日本市場に合わせてくる。日本語で歌うのもそうだし、日本人視聴者を意識したドラマが一部で作られるのもそうだ。あたかも一般消費財を輸出先の現地市場に適応化するようなものだろう。
 そんな中、なぜ韓国映画は日本で稼げないのだろうか。理由の1つは、日本のメディアの支援がないことだろう。2000年頃まで日本で見向きもされなかった韓国の大衆文化がこの10年で広がりを見せたのは、今さら説明するまでもないが、日本のメディアが飛びついたからである。国内のドラマ再利用が進まず、多チャンネル化の中で深刻なコンテンツ不足を迎えつつあったテレビにとって、一見日本ドラマに似ていて、しかも安くて使い勝手が良い韓国ドラマは救いの神だった。アーティストの育成に時間とカネをかけられない音楽業界にとってはK-POPが金鉱のように見えただろう。韓国ドラマやK-POPは日本のメディアを巻き込んだマス・マーケティングで市場を拡大してきたわけだが、韓国映画にはそのような後ろ盾がなかった。行き過ぎた韓流推しが非難された日本のテレビ局も安定した視聴者獲得や著作権収入という実利があるから韓国ドラマやK-POPを推しまくるわけで、韓国映画にはそのような旨みは感じられない。
 その他の理由として考えられるのは、韓国映画の多くが日本人観客を念頭に置いて製作されているわけではなく、日本人の一般的な韓流イメージとも合致しないのではないかという点である。
 個人的な話になるが、僕は1980年代後半~90年代初頭の韓国大衆文化が好きで、当時はキム・ワンソンのソウルランド・コンサートにも行ったし、今でも彼女の初期のアルバムはLPやカセットを所有している。映画もぺ・チャンホ監督ら巨匠の名作からB級作品まで結構見ていた。場末感漂う映画館はもちろん、VHSを求めて中古ビデオ市場へも足を運んだりしていた。
 ところが、この10年間騒がれ続けた韓国ドラマやK-POPはあまり面白いと思えなかった。なぜなのかは自明で、韓国の臭いがするものが少ないからである。韓流と騒ぎ出す前の韓国の大衆文化は、映画にせよ歌謡曲にせよ、日本で売れそうな要素はあまり見当たらず、現にほとんど話題にならなかったが、すごく韓国土着の臭いがした。私感ではあるが、外国の大衆文化に接する楽しみはそこに尽きるわけで、異文化市場での受容やグローバル展開のためのトレードオフの結果としてそういった部分が捨てられるとすれば、非常につまらない。先の朝鮮日報の記事には「K-POPの場合は海外進出を念頭に置いて数年にわたり緻密な準備を重ねてきたが、映画界にはそのような動きはなかった」とあるが、かつての韓国大衆文化は海外を意識していないからこそ面白かったのである。
 韓流コンテンツが海外(というよりも厳密には日本。しつこいようだが)でセールスを上げるにはどうするかを念頭に置いて製作されることを日本のコンテンツ振興関連省庁やメディアは礼賛するが、日本のコンテンツがこれまで欧米で、たとえ売れなくともまかりなりにも高い評価を得てきたのは、日本人自身は気づかないかもしれないが、どこかに日本っぽさがあり、それが面白がられたからではないだろうか。逆に、徹底したアメリカ市場向け作品を投入した音楽アーティストの場合、多くが失敗に終わっている。
 大衆文化は多かれ少なかれ商品性はあると思うし、セールスが非常に重要なことは理解しているが、あまりにも「売らんがため」だと、作り手の意思が感じられないし、興ざめである。良いものを作って結果として売れるのは素晴らしいことだと思うが、こういうのが売れるだろうっていう完成形から逆算して作られているようなコンテンツは予定調和だし、魅力がない。別に韓流だけじゃなくて、日本にもその手のものは多い。
 翻って韓国映画を見ると、実は今でも韓国の臭いがする作品は多い。それが何かと言うと、近年だとイ・チャンドン監督の諸作品やヤン・イクチュン監督・脚本・主演の『息もできない』あたりにはよく表れていると思うが、韓国社会が本質的に持つ重苦しさやイナタイ感じなのである。でも、それ故に韓流に「かっこよさ」「美しさ」「明るさ」といった日本のメディアが植えつけた韓流イメージを求めるファンに敬遠されるのだとしたら、残念な話である。余談だが、PSYの『江南スタイル』もあの垢抜けなさ具合は非常に韓国っぽいと思うのだが、日本の韓流ファンには見向きもされなかった。あれも、韓流に求めるものと乗馬ダンスが相容れなかったからかもしれない。
 また、韓国映画が日本で受けない理由について、長年映画産業にいる大学時代の後輩からも興味深い話を聞いた。彼女によると、韓国映画は映画ファンからはクオリティの高さが評価されているものの、映画に詳しくない人からは、韓流でドラマなどと一括りにされ、敬遠されることがあると言う。以前のエントリーで、韓流ほど日本で好き嫌いが分かれるコンテンツ群はないと記したが、その根底にあるのは韓流ファン・アンチ韓流の両者がそれぞれ持つ、非常にステレオタイプ化されたイメージであり、韓国映画はその割を食っているように思えるのである。
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00:20:06
 今年の紅白歌合戦の出演者の中に韓国アーティストの名前はなかった。昨年出場した東方神起、少女時代、KARAは3組とも落選である。NHKによると、世論の支持、今年の活躍ぶり、演出・企画の3点で総合的に判断した結果、韓国アーティストは皆、それぞれの数値が昨年より下がったことが落選理由であって、今夏大騒ぎとなった竹島問題は選考には影響しなかったらしい。
 NHKが特定アーティストの紅白落選理由をいちいち説明するようになったのはいつ頃からだろう。かつては紅白の出演者選定に世間で疑義が生じることは少なかったように思うが、ここ20年くらいは選出基準が多様化・複雑化する中で、毎年「なぜあの人が選ばれるのか(or 選ばれないのか)」といった声が上がることが多くなり、NHK側も選出理由を公表しなければならなくなったということだろうか。別に公表する必要などないと思うのだが、紅白がかつてのような国民的番組ではなくなりつつあることを他ならぬNHKが熟知しているが故に、話題作りをして、紅白への興味を喚起しようとしているようにも見受けられなくもない。
 閑話休題。紅白からK-POPが消えたことに対し、韓国メディアは案の定反発している。確かに昨年出場したK-POP3組は今年もそこそこ売れている一方で、彼らよりもCDセールスやライブの動員が少ない日本人アーティストが選ばれている。しかし、先述のとおり、NHKがCDセールスやライブ動員だけで紅白出場者を決めていないことは日本では周知の事実で、韓国3大紙がK-POP勢落選に異議を唱えても、それは彼らが昨今の紅白の出演者選定を理解していないだけだ。
 韓国側からすれば、NHKに裏切られたという思いがあるのかもしれない。NHKは、韓国メディアから朝日新聞と並んで「日本の良心的メディア」と持ち上げられることが多いし、実際に韓国コンテンツの日本での普及にこれまで随分と力を入れてきた。『冬のソナタ』を放送し、韓国ドラマを広めたのも、K-POPをいち早くニュースや時事番組で取り上げたのもNHKで、民放はその後追いをしたに過ぎない。また、今年8月に竹島問題を巡って日韓関係が悪化する中、民放は早々と韓国ドラマの放送を見直すなどと言い出したが、NHKは特に動じる様子も見られず、それまで通り週数本の韓国ドラマを放送している。
 NHKが公共性を重視して、必ずしも視聴者数は多くないようなものも含めて多様な番組を放送していることは事実だと思う。しかし一方で紅白歌合戦は別格で、他の多くの番組のように特定層の視聴者のためだけに放送しているわけではなく、極論を言えば、日本にいる最大公約数的な視聴者を想定して作っているようなところがある。そして、そのように多様な人が見る番組であるがゆえに、賛否が分かれるものや反対派が多いものを取り上げることには昔から慎重なところがあったように思う。例えば、若い人には圧倒的に支持されるが大人は眉を顰めるような、不良の匂いがするアーティストの出演に紅白は積極的ではなかった。あくまで老若男女みんなで穏やかに見られることが前提になっているのである。
 今年、紅白からK-POPが消えたのは、恐らく本当のところではNHKが日本の世論に配慮した結果だと思う。では、具体的にNHKは日本のどういう世論に配慮したのだろう。竹島をめぐる韓国の言動に端を発する日本人の反韓感情もその1つだろうが、それだけではなくて、「韓流を見たくない」という反韓流感情に応えたのではないかと思う。もちろん今でも韓流には根強い視聴者は一定数いるし、それゆえにNHKも普段は放送している。しかし、紅白となると、韓流を観たくない層にも配慮しなければならないということか。
 韓国コンテンツの日本(厳密には他のアジア諸国も同様だが)での受容を見ていると非常に特徴的なのは、熱狂的な支持者がいる一方で、反発を感じる人が多く存在する点である。ここまで賛否両論が交錯し、好き嫌いが分極化するコンテンツ群は他にあまり類を見ないだろう。ただ、今年の夏まで日本では「韓流が韓国に対して偏見を持っていた日本人の心を開いてくれた」、「韓流は日韓文化交流の象徴」、「韓流がアジアを1つする」といった美談仕立ての言説が溢れる中、韓流を否定する声は差別的で偏狭だと言われ、かき消されていた。
 ところが竹島問題が表面化して以降、対韓感情が悪化する中で、日本の韓流に対する空気が変わってきた。ネットに溢れる韓流を否定する種々の話が、それまで「別に韓流は好きでもないし嫌いでもない」と思っていた層にも伝播した。中でも大きかったのは、韓流アーティストは金儲けのために日本に来て、ファンの前ではいい顔をするが、韓国に帰れば反日を口にするといった類の話だ。少女時代が『独島(竹島)は我が領土』という歌を歌っていた話などはその典型のように捉えられていて、普段は政治や外交に関心がなさそうな大学生の間でもよく知られている。
 このような中で韓流を擁護するため、「政治と大衆文化は別」という声を耳にすることがある。大衆の目線に立って文化を尊重する、良い言葉である。しかしそれを打ち消すかのように、韓流を否定する理由として、「韓流は政治的である」という声も多く聞かれる。よく知られるように、韓国は国家戦略として海外における韓国ブランドの確立・強化や韓国ファンの涵養をめざし、自国のドラマや音楽の海外展開を後押ししてきた。いわば韓流は政治的産物である。しかも、ほぼ全面的に商業ベースで流通するため、大衆文化と言いつつも、韓国国家主導で輸出される製品という性格が強い。
 また、韓国は日本に対しては政治と大衆文化を分けて考え、日韓関係が悪化しても韓流を受け入れることを強いる一方で、自分たちは政治的判断に沿って日本の大衆文化を長年にわたり規制してきた経緯があるし、今でもテレビ番組は実質的に放映禁止だ。つまり、韓流を巡る政冷文化熱(そんな言葉はないか…)は、韓流を支持する人のご都合主義的であり、そのことにうんざりしている日本人は多いのではないだろうか。NHKは紅白歌合戦からK-POPを外すにあたって、このような空気を重視したのだと思う(もちろん、韓流は政治的だけどそれでも好きという人は、それでいいと思う。個人の自由だし)。

22:08:12
 韓国・李大統領の竹島上陸や天皇陛下を侮辱する発言を受け、日本では一部の国会議員から竹島などを巡った反日の言動をとった俳優の入国拒否や、さらには韓国ドラマやK-POP自体を日本市場から排除すべきといった声が上がっている(「韓流タレント入国禁止案も」「自民関係者 韓流もK-POPも禁止」)。まあ、現実にはこういうことは起こらないとは思うが、特定国のコンテンツを規制するのは、思想や表現の自由が認められている民主主義社会らしくない。実際に日本は国交がない北朝鮮のコンテンツだって規制していない。大体、韓国コンテンツに対する規制をやってしまったら、いまだに一部の日本のコンテンツを実質的に市場から締め出している韓国と「同じ穴のムジナ」になってしまう。別に韓国に対して太っ腹なところを見せる必要はないと思うが、報復措置はあまりに不毛だし、品もない。
 ただし、政治介入の結果ではなく、市場メカニズムの中で韓国コンテンツが消えていくのならば、それは仕方のないことだ。これまでテレビ局が韓国コンテンツを積極的に取り上げてきたのは、それが自分たちへもたらす実益に加え、そうした方が平和的でリベラルな感じがするという思いもあったのではないか(ちなみにこういった傾向はW杯開催前後くらいからで、それ以前は日本のマスメディアにとって韓国は「アンタッチャブルな話題」という捉え方が一般的)。突然の韓国コンテンツ重用に対して賛否は分かれていたが、テレビ局自身が自分たちのやってることに対して特に負い目はなかったから、批判に対しても超然としていた。ところが最近の韓国における反日行動を受けて日本で巻き起こった、かつてない規模の嫌韓という空気の中、韓国コンテンツの扱いに関しても慎重にならざるを得ない状況になってきた。それに加えて、韓国コンテンツの価格が高騰してビジネス的なうまみがなくなりつつあるという業界内事情も追い打ちをかける。信念がないと言ってしまえばそれまでだが、テレビ局の編成方針なんてそんなもので、風見鶏みたいなものだ。
 では実際の受け手である韓流ファンの考えはどうだろうか。この人たちの考え方次第では、韓国コンテンツが日本市場で激減する可能性だってある。この点に関しては独自調査をやりたいくらい関心があるが、とりあえず既存の2次データを見てみる。皇室と韓流が重要コンテンツである女性週刊誌のうち、「女性セブン」が今週号で「あなたはどう思う?韓流ファンもたじろぐ韓国人反日100年の怨讐…かつてはヨン様も独島は韓国の領土発言を 従軍慰安婦問題ほか、歴史を無視したあまりに一方的な主張の数々」という女性誌らしい掴み上手な見出しで特集しているが、その中で韓流ファンの20~60歳代の女性100人に行われた緊急アンケート調査が紹介されている。
 「竹島問題のニュースを見てどう感じたか」の問いには、半数近くの47%が「韓国のことを許せない」と回答した。年齢別では50歳代以上がやや多かったが、「興味がない」と答えた女性も20~30歳代を中心に20%いたという。サンプルが偏っているので、恐らく一般の世論調査結果とはやや隔たりがありそうだ。一方、「韓流ファンであることについてどう感じるか」の問いには、20~30歳代を中心に10%が「もう韓流ファンをやめようと思う」と回答したらしいが、「政治と芸能は別だと思うのでファンはやめない」が71%を占め、「むしろ架け橋となるため一層応援していきたい」との答えも12%あったという。
 韓流とは、韓国が国家として海外展開に取り組んでいるという意味でも、また一部芸能人が政治的言動をしているという意味でも政治と密接に結びついていると思うので、僕は「政治と芸能は別だ」と言うクリシェは、韓流に対しては安易に使うべき言葉ではないと思う。むしろ「韓流は政治的だけどファンはやめない」ならば話の筋が通っているので理解できるけど。ただし、「架け橋となるため一層応援していきたい」という意見に至っては、こういった純粋無垢な人たちを味方に付けたことが韓流の最大の収穫なのだと改めて感じた。かつて広告代理店の人間が「日本で韓流が流行ったのは、日本にある特定層が存在することに目をつけ、そこを掘り起こすべく、その人たちが好きそうなコンテンツを集中的に投入したから」と話してくれたことがあった。そのような特定層の属性については割愛するが、なるほど今考えても良くできたコンテンツマーケティングモデルである。韓流に対する忠誠心の高さや心酔ぶりから察すると、一連の日韓外交問題が韓流ファン心理に及ぼす影響は少なさそうだ。
 ただ1つ気になるのは、ここ数日、日韓関係悪化が日本における韓流に及ぼす影響が論じられているのに比べて、冒頭に記したような、日本のテレビ番組が韓国でいまだに排除されている事実に対しては、ほとんど議論されていない点だ(このことに関する著書がある関係上、どうしてもそっちに気が行ってしまう)。大体、「政治と芸能は別だ」と言い切る日本の韓流ファンだって、多くはそのような事実を知らないし、知っても気に留めない。彼・彼女らの日韓文化交流とは、あくまで「韓国のものを受け入れる日本」という図式の上に成り立つものなのだ。けれども、日本の政治家は日本から韓流を締め出すことを提言するくらいなら、韓国で日本のコンテンツに対する実質的な規制を撤廃させるためにどうすべきか考えるべきではないだろうか。お互いがゼロになるよりは、お互いが1になった方が良い。もちろん相手の韓国は「政治と芸能は別だ」とは思っていないし、ましてや今日の反日感情の高まりの中での交渉は非常に困難を極めるだろう。他にも外交問題が山積みの中でそんなことやってる場合かという批判が殺到しかねない。しかし、よくよく考えれば、異常な関係を正常にしようとしてるだけだ。相手に「韓国コンテンツが最大の市場である日本で規制対象になるかもしれない」という懸念がある今こそ、実はそのことを外交カードとして戦略的に使って交渉するチャンスだと思う。
 仮に日本のテレビ番組が全面開放されたとしても、大した視聴率は取れないだろうから、韓国の地上波放送局は放送しないだろうという話は現地でよく耳にした。たとえそうだとしても、それは市場の力が働いた結果なのだから、規制による排除とは違って、健全なことだと思う。ただし、『冬のソナタ』がなぜ日本で流行ったのか思い返してみると、重要だったのは、当初全く放送に乗り気ではなかったNHKが途中からやる気満々になり、大プロモーションをかけた点だった。このように「客が後からついてくる」という現象は、KBSあたりが一定期間日本の番組をまともに宣伝し、放送し続ければ、韓国でも起こりうる話だと思う。

23:52:19
 8月10日の李明博・韓国大統領の竹島(韓国名・独島)上陸に続き、ロンドン五輪では韓国人サッカー選手が領土問題をめぐって反日宣伝行為を行った。領土問題のみならず、既に解決済の過去補償の問題も相変わらず蒸し返され、あげくの果てには天皇陛下への謝罪要求まで飛び出した。もちろん韓国ではこれまでも対日強硬路線が幅を利かせてきた経緯があるが、今回の一連の出来事はかつてないほど失礼極まりないものだし、これまで守ってきた一線を越えてしまった印象がある。レームダックな李政権が愛国・民族主義に訴えかけて人気回復を目指しているだけと看過できるものでもない。
 とにかく韓国では現在、反日活動なら何でもありという状態になってしまっているようだ。そのような中、俳優のソン・イルグクが竹島への上陸を目指した韓国のリレー水泳に参加したことを受けて、BS日テレとBSジャパンは彼が出演するドラマの放映を延期した。こういった名前も知らない俳優が出演するドラマが2局で放送されていたという事実に、日本の放送メディアの韓国ドラマ依存体質を再認識したが、この放送中止が意味することは小さくない。
 韓国の芸能人はこれまでも「独島は我々の領土だ」という政治的言動を行っている。日本でも知名度が高いところで言うと、俳優のキム・テヒがスイスでの独島キャンペーンに「独島愛Tシャツ」を着て参加し、韓国領であることをアピールしている。少女時代はある行事のリハーサルで「独島は我々の島」という歌を歌っている。ぺ・ヨンジュンもホームページで「独島は韓国の領土である」と述べている。もちろん、これらを日本のマスメディアはほとんど伝えない。なぜなら彼らは日本のマスメディアにとって大事な商品なのだから、反日活動という悪印象につながるニュースは封殺される。その意味で、今回の放送延期は思い切った決断だと思う。
 別に韓国の芸能人が竹島に関してどういった言動をするのも自由だし、本人の意思をどこまで反映したものなのかもわからない。韓国では反日的な発言や行動をすることで評価される風潮もあるかもしれないし、現地で人気を保つためにはそういった言動が必要なのだろう。また、世界的に見れば、芸能人が政治的な言動をすることは別段珍しいことではなく、例えばアメリカの俳優やアーティストも政治集会に参加したりして、自身の政治的信条を表明する人は多い。ただし、人気商売であるがゆえ、自分たちの言動のリスクを負う覚悟が必要なことは言うまでもない。日本の芸能人はあまり政治的な発言をしない印象があるが、そうすることでリスクを回避するのも1つの選択だ。
 「独島は韓国領」と声高に主張する韓国の芸能人は、そのような言動が日本市場での芸能活動に及ぼす影響をどう考えているのだろうか。実は、日本は「世界最大の韓流市場」である。例えば「世界中で人気」などと韓国側が喧伝するK-POPだが、実に海外での売り上げの80.8%が日本市場においてであるし、韓国ドラマにしても、日本での放送本数の多さに加え、一部の日本のバイヤーが値段を釣り上げたと言われる。つまり韓流は日本市場への一極集中依存体質を持つものなのである。そして、そのことを韓国の芸能界が熟知しているからこそ、彼らは徹底して商品を日本市場に合わせてくる。日本語で歌うのもそうだし、日本人視聴者を意識したドラマが作られるのもそうだ。普通のビジネスの感覚を持ってすると、このように重要な顧客の嗜好に製品やサービスを合わせるのは理解可能である。しかし同時に、普通のビジネスの感覚を持ってすると、重要な顧客に不利益を被らせるような言動を取るのは理解不可能である。面従腹背というか、デリカシーが欠如しているとは思うが、実際に彼らが日本に対して行っているのはこういったことである。ただ、韓国側にしてみれば別に罪悪感があるわけではなく、日本市場に韓国ドラマやK-POPに対する需要があるから、(本意ではないかもしれないが)そこでビジネスを展開しているに過ぎないという感覚なのかもしれない。
 コンテンツを供給する韓国の姿勢以上に注視すべきは、それに対して需要が存在すると思われている日本の姿勢である。ただし、韓国ドラマを流したり、K-POPを取り上げるマスメディアの行動原理は比較的単純だ。原則として彼らは儲かればやるし、儲からなければやらない。反日女優と噂されるキム・テヒをドラマやCMに使うくらい、日本の企業は韓国芸能人の政治活動には無頓着だった(その意味でも、やはり今回の放送中止は驚いた)。
 むしろ興味深いのは、そういった韓国コンテンツを好む視聴者や読者の考え方である。「なぜ反日的な活動をする俳優やアーティストを応援するのか?」という問いかけには、ほぼ間違いなく以下のような答えが返ってくると思われる。「政治とエンタメは別だから…」。演技なり歌なりが素晴らしいとか、「あばたもえくぼ」みたいなファン心理もあるのかもしれない。現に竹島遠泳を行った俳優ソン・イルグクにも理解を示すような声が寄せられているという。確かに政治問題と大衆文化は本来別次元のものだし、区分されて然るべきものである。政治とは無関係の文化や芸術が何かしらの政治的な意図によって市場から制限や排除されるようなことがあれば、当然理不尽さを覚えるだろう。ただ、ここまで記してきたように、一部の韓国の俳優なりアーティストは実際に日本の国益を損なわせるような政治活動を行っているのである。
 そもそも韓国では、大衆文化交流は政治的要因に左右されて然るべきると考える人は少なくない。幣著『韓国で日本のテレビ番組はどう見られているのか』で詳細に論じたが、韓国では日本の大衆文化を長年規制してきた経緯があり、テレビ番組はいまだにジャンルによっては放送されない。これは主に民族的な感情に対する配慮が原因となっていると考えられる。若い世代では「日本のものでも良いものは良い」と考える人も少なくないが、中高年以上の世代では「日本のものは絶対ダメ」と考える人がまだまだ多い。調査の過程で韓国の文化政策担当者と会談した際、日本のテレビ番組放送に対する規制緩和のために何が必要か質すと、開放のための名分を日本が韓国に与える必要があると言い、一例として竹島問題での日本の譲歩を挙げてきた。当然行われるべき大衆文化開放のために国家主権にかかわる領土問題で妥協しろとは到底理解しがたい話だが、冗談には聞こえなかった。上述の通り「政治と文化は切り離して考えるべき」という考え方に基本的には賛成だし、それが理想だと思うが、日本が今向きあっている韓国は、大衆文化を外交問題解消の取引材料として利用しようとしている国であり、文化交流、特に日本とのそれは政治的枠組みの中で行われて然るべきと考える国なのである。「政治と大衆文化は別物」という言葉は非常に安易に使われがちだが、果たして単純にそのように言ってしまって良いのか、今回の韓国ドラマ放映中止は我々日本人に問うているような気がする。

プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
Twitter:@obagoro

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