地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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19:46:14
 メディア戦略家・境治さんの「このままでは日本のコンテンツ産業もガラパゴス化してしまう」を読んだ。境さんにお目にかかるとこういったテーマで意見交換することも多く、「国内市場がシュリンクする中で映像コンテンツは海外展開しないとマズいんじゃない?」という主張には同意する。一方、私自身がここ数年、日本のテレビ番組海外展開の歴史的経緯を調査していることもあって感じるのは、日本のコンテンツのガラパゴス化は決して新しい問題でも想定外の状況でもなく、国際流通力が弱い内容にせよ、売り方にせよ、当然の帰結なのではないかということである。以下、日本の代表的な映像コンテンツであるテレビドラマを中心に記す。
 日本のテレビ番組が初めて海外に販売されたのは、記録を調べた限りでは1960年である。その当時、草創期にあった日本のテレビ関係者は自分たちの作った番組が海外で(特に欧米で)どのような評価を受けるか非常に興味があり、積極的に国際コンクールに出品し、受賞作には海外から購入の申し入れが来ることもあった。しかし、テレビ局が番組を海外に出す場合、商業ベースというよりは国際文化交流を目的として行うことが一般的で、番組交換という形を取ることも多かった。
 しかし、「ビジネスとしての海外番組販売」という発想がなかったわけではない。例えば1960年中盤、某キー局の社長は経営施策の1つとして「世界市場の開拓、そしてそのための製作・販売体制の検討」を掲げている。約半世紀も前に海外を市場として強く意識していた点は注目に値するし、今日でもよく指摘される課題、つまり、海外市場で番組を販売するためには日本でヒットした作品をそのまま売りに出すのではなく、現地の嗜好にあった作品を企画・製作する必要性があることに着目していた点は慧眼である。同時に、その課題が今日まで50年という長きにわたって改善されずにいるとすれば、その原因は「何らかの理由で改善することができない」か「そもそも改善する気がない」のどちらか(あるいは両方)ということではないかとも考えられる。
 1970年代になると日本の番組ブームがアジアの一部で起きる。タイでは一時期、放送番組の30%が日本からの輸入番組だったし、香港では日本のドラマが大人気で、特に『Gメン'75』が放送される夜は「香港の街から麻雀の音が消える」とまで言われた。しかし、これらの輸出実績に日本のテレビ局はほとんど関わっていない。アジア諸国に出されたドラマの多くは映画会社がフィルムで作る「テレビ映画」で、厳密には映画の一種であり、テレビ局がVTRで作る「テレビドラマ」とは海外に販売する際の権利処理が全く異なる。テレビ番組の2次利用に係る権利処理の煩雑さは非常に有名だし、境さんの記事でも言及されているが、対照的にテレビ映画の場合は非常に簡素化されている。劇映画が下火になる中、映画会社は新たな収入源の1つとしてテレビ映画の海外への販売に乗り出していた。
 ではテレビ局は何をやっていたのか。国内のテレビ産業が急成長し、広告市場の急拡大によって国内放送に伴う収入だけで十分な利益が生まれるようになる中、権利処理が面倒な上に確実な収益が期待できない海外番組販売に必然性を見出せなくなっていた。その後も1990年頃まではテレビ番組を海外に販売する際のルール(権利者にいくら支払うかなど)も決まっていなかった。
 1980年代には、改革開放路線を歩み始めた中国で日本のテレビ番組の人気に火が付き、山口百恵の『赤い疑惑』(これもテレビ映画)は社会現象になっている。この頃、中国に入ってきた日本の映像作品に描かれた物質的豊かさや生活様式は中国人を魅了し、中国人の日本および日本人観の好転に寄与したと言われる。日本側にすればほとんど儲けはなかったと思われるが、中国の潜在市場に期待する日本企業が提供する形で1980年代には40本弱のドラマ作品が中国で放送された。また、恐らく今日でも世界的に最も有名な日本のドラマである『おしん』は1980年代中盤以降、政府開発援助によって多くの国に無償頒布され、シンガポール、タイ、中国、イランなどでは実に80%近い視聴率を記録した。
 コンテンツビジネスという視点から見ると、その当時のアジアは収益性も低く、全く魅力に乏しい市場だったと思うが、現地の人々は日本のドラマに熱狂し、欲した。彼・彼女らにとってはそれがテレビ映画だろうとテレビドラマだろうと面白ければ良いわけで、どういうルートで入って来たかもどうでもいい話である。「日本は面白いドラマを作る国」という認識は広くアジアの視聴者に共有され、「日本のドラマ」の価値は「日本の電化製品」や「日本の車」のように高かった。国際マーケティングでいうところの「原産国効果」が発揮されていたわけである。
 1990年代になると台湾や香港を中心に『東京ラブストーリー』、『ロングバケーション』など、日本の若者向けドラマが大人気となった。その頃には国内のドラマ制作の主流は完全にテレビ映画からテレビドラマに変わり、海外に出される際もテレビ局主導が一般的になっていた。1960年代に局上層部によって描かれた海外展開のビジョンがようやく現実のものとなったわけである。テレビ局にすれば売り手市場で、特に販売努力をしなくても、それまでのアジア市場では考えられなかった値段で面白いように売れた「日本ドラマ・ブランド」の最盛期である。ところがその後、2000年代になり、日本のドラマはアジア市場で急失速する。内容も利便性も悪く、コストパフォーマンスが低いという評価が定まってしまった。通常、高価値なブランドは多少値段が高くても売れ続けるものだが、「日本ドラマ・ブランド」はそうではなかったということになる。
 今日でも台湾は日本のテレビ番組にとって最大の市場で、日本の番組を専門とするテレビチャンネルも3つある。2月に台湾で調査をしたのだが、日本のドラマは1990年代や2000年代初頭のものに比べて、夢がない内容のものが多く、台湾の視聴者受けしそうもないものが増えたという話を聞いた。そこでも「もう少し海外の視聴者が喜びそうな内容のものを作った方が良いのではないか」と言われた。最良の顧客にさえも質的に問題ありと思われているのが、今日の「日本ドラマ・ブランド」なのである。
 でも現実には、海外の視聴者の好みを反映した作品作りは言うほど容易ではない。ドラマに限らず、日本の番組は日本の視聴者に受け入れられることを第一義的な目標にして作られており、最も日本の視聴者が好みそうな題材・演出が盛り込まれている。今日、夢がないドラマが日本に多いとすれば、そういった内容を日本の視聴者が望んでいると製作者側が判断していることの現れだろう。海外の視聴者の好みを考慮し、もしも日本での視聴率が悪くても海外への販売で稼げればいいという発想で作られている番組は(あれば面白いとは思うが)寡聞にして知らないし、そもそも「海外」と一口で言っても国によって好みは千差万別で、どこに合わせるかという問題もある。
 極論を言うと、どこの国でも自国市場の視聴者の好みを熟考して番組を作っている点は昔も今も変わらないと思う。しかし、そのようにして作られたものの中に他国の視聴者にも面白いと思われ、訴求する要素がある作品もある。『赤い疑惑』も『おしん』も『東京ラブストーリー』も日本での放送用に作られたものだが、たまたま海外の視聴者にも同じように面白いとか魅力的に思える点があった。そして、そういった要素が今日の日本のドラマには減ってきているということなのかもしれない。そのように考えると、日本人視聴者のテイストが他国の視聴者と乖離したことが番組内容のガラパゴス化の根底にあるようにも考えられる。
 実際問題として、上記のように、ドラマの内容を海外市場に合わせることは難しいと思われるが、売り方を海外市場に合わせることは可能に思える。例えば、判で押したように必ず日本のドラマの弱点として挙げられる話数の少なさ(全11話くらい)だが、それはテレビ放送での編成を前提に考えるからであって、動画配信で見るには適切な話数にも思える(Netflixオリジナルドラマだって全13話が多い)。話数も「海外ではもっと長いシリーズが一般的だから、それに合わせて増やそう」などというのは非現実的で、日本様式のフォーマットのドラマをどのように海外で流通させれば効果的かを考えるべきだろう。日本のドラマは若い視聴者を想定して作られているものが多いのだろうから、採算性さえ合えばネット配信を重点的に行ってもいいように思う。その方が、違法動画対策にもなる。
 あと実は、日本のドラマの海外展開における生殺与奪を握るのはテレビ局というよりも出演者である。彼・彼女たちが同意しないと販売できないこともさることながら、作品プロモーションにおいても非常に重要な役割を果たす。先述の台湾の日本番組チャンネルでは深田恭子主演のドラマの放送を売り出していたが、彼女は同チャンネルのウェブで流す動画メッセージなど、番組プロモーションに非常に協力してくれたそうだ。
 一方、事務所の方針かもしれないが、そのような面で全く非協力的な人もいる。境さんも書いていたが、特に海外市場の場合、知っている俳優が出ていることは視聴選択の要因になりやすい。俳優側にしても、ドラマがヒットすれば海外での活躍の場を拡げられる良い機会だと思うのだが、全くそういった志向・意識がない人たちが日本のドラマや番組に主役級として数多く出演していたりする。それらの番組の日本での人気は高く、高視聴率が期待できるからテレビ局は喜んで製作・放送するが、様々な制約が課されるから国際流通力は弱い。番組ガラパゴス化には出演者の内向き志向も作用しているのである。
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18:08:10
 今年の夏、『ドラえもん』が全米で放送開始される(日本経済新聞「ドラえもん、全米デビューへ」)。日本を代表するテレビアニメである『ドラえもん』はこれまで35の国と地域で放送され、東アジアや東南アジアでも高い人気を誇るので、これまでアメリカで放送されていなかったことを意外に思った人もいたかもしれない。同じく日本を代表するテレビアニメである『ポケットモンスター』がアメリカでは大人気だったわけで、「日本のアニメが世界を席巻」と言っても、実は国・地域によってアニメ作品の受容が異なることを実感する。
 アメリカでの放送は、現地の文化や習慣に合わせて、登場人物の呼称やドラえもんが出す道具、ストーリーの一部を変えるという。登場人物(例えば「のび太」が「ノビー」)や道具(例えば「どこでもドア」が「エニーウェアドア」)は、アメリカの子供が親しむためには当然必要になるだろう。アニメ放送にさきがけて配信されている電子書籍版では、「どら焼き」が「パイ」に変更されていると言うし。気になるのはストーリーをどのように変えるのかという点である。
 では、なぜこれまでアメリカで放送されなかったのかという点について、先に引用した日経新聞は「強いヒーローを望む米国との文化的ギャップや権利調整などが壁となり、米国では未放映だった」と伝える。権利調整の部分は部外者にはわからないが、前半の強いヒーロー云々といった話は、実はこれまでもまことしやかに語られてきた。別にアメリカで人気の高いアニメーション作品に強いヒーローの登場が必須と言うわけではないだろうが、のび太が困難にぶつかるとドラえもんに頼るという定型パターンが、アメリカの子供たちにというよりも、実質的に子供番組のチャンネル権を持つアメリカの親層に受け入れられないといった話は真実味があった。確かにアメリカでは幼い頃から自立や独立が重んじられるし、問題を自分で解決することが尊ばれる。そういった教育方針を持つ親にとって、のび太の姿勢は肯定的に捉えられないと判断されてきたのかもしれない。でも、のび太がドラえもんに頼ることなくしては作品が成立しないようにも思える。
 ストーリーに関しては他にも気になる点がある。『ドラえもん』がアメリカで放送開始されると言う話自体は、僕はちょっと前に関係者から聞いていたのだが、その時の話だと、のび太がジャイアンにいじめられるシーンもNGらしいということだった。何かを強要することは問題ありだし、殴る・蹴るといったシーンに至っては暴力シーンと捉えられる可能性もある。さらに、そうやっていじめられても、のび太とジャイアンが友達同士であることも、なかなか理解しづらいかもしれない。ジャイアンのような問題のある子とは付き合わないようにするとか、何かしら対処が必要なのではないかと思われかねない。ただ、そのようなのび太とジャイアンの関係が『ドラえもん』の重要なポイントになっていることは間違いないし、それなしでストーリーが成立するのかという気もする。
 今回アメリカで『ドラえもん』を放送するのは、ディズニーの子供向けチャンネル「ディズニーDX」である。世界共通のウォルト・ディズニーのフィロソフィーは「夢は叶う」であり、それは映画はもちろん、ディズニー関連のチャンネルで放送される番組にも具現化されている。ただし、他力本願ではなく、あくまで自分の努力で夢が叶うことが重要である。また、人を傷つけたりするような内容や描写は、ディズニー・ブランドの下ではタブーとされている。これらの点を併せて考えると、先述のシーンに対してディズニー側が神経質になるのもわからないではない。
 さて、あともう一点気になるのは、しずかちゃん絡みの描写である。かなり有名な話だが、しずかちゃんは風呂好きで、入浴シーンも多い(ちなみにNaverまとめの「しずかちゃんの入浴シーンまとめ」)。しずかちゃんの入浴を想像したり、覗こうとするのび太の描写も含めて、アメリカじゃ放送は恐らくNG。
 このように、『ドラえもん』の根幹を成す設定がアメリカでは受け入れられにくいかもしれないという懸念はある(まあ、しずかちゃん入浴は根幹ではないけど)。ただし、そういった部分は結局、描写の程度問題だし、ドラえもんへの依存やジャイアンのいじめが比較的緩いエピソードを選んで放送すれば、なんとかなるのかもしれない。その意味では、ストーリーの「修正」の問題ではなく、ストーリーの「選択」の問題のように思える。
 アメリカでは全てのテレビ番組は内容によって「全ての子供向け(TV-Y)」とか「7歳以上の子供向け(TV-Y7)」とか「親の指導が強く勧められる番組(TV-PG)」というふうに7つの階級に分けられ、レーティングが付けられている。さらに、暴力(V)や性描写(S)シーンを含む場合は、それらが想像上のものであっても表記される。表現の自由が認められているので、そういった描写を規制・排除することは少なく、子供の目に触れさせる・させないはあくまで親に委ねられている。ただ、ディズニーの子供向けチャンネルであれば、親にとって安心感のない番組を流すこと自体がまずありえないと思うので、その意味でも基準に抵触しそうなシーンを含むエピソードは避けられる可能性が高い。まあ、一話完結が基本なので、それでも問題はなさそうである。
 今回の『ドラえもん』放送は、アメリカでのリメイクではない。かつて『鉄腕アトム』のハリウッド版を作る時にアメリカ側がオリジナルとは随分とかけ離れたアトムのデザインを提示して手塚プロ側を困惑させたという話もあったが、今回の『ドラえもん』に関してはそういった心配はない。ディズニーによるリメイクだと、最初は弱かったのび太が逞しく成長していく過程が強調されたりしそうで、そうするとやっぱり『ドラえもん』ではないような気がする。

10:32:00
 安倍首相自ら日本のテレビ番組の海外展開の重要性を力説したのは昨年5月のことだった。2012年度補正予算の170億円が投入され、番組輸出額を5年間で3倍にする目標が掲げられた。なぜ、そこまで国がテレビ番組の海外展開に熱心なのかというと、テレビ番組という大衆文化が日本のイメージ向上や、あるいは日本のブランド製品販売や観光客増加など、他産業への波及効果に寄与するという期待があるからである。日本のポップカルチャー全般を扱うクールジャパン政策にも同じような期待が見られるが、テレビ番組の海外展開も、文化交流的にも経済的にも素晴らしいことと捉えられているようである(ちなみに、テレビ番組輸出3倍増計画を聞いて考えたことは、当時のエントリー「成長戦略としてのテレビ番組輸出3倍増計画の心もとなさ」にまとめてあるので、ご覧下さい)。
 その後、昨年9月には、民放やNHK、広告代理店など15社・団体が共同で、日本の番組の輸出拡大を目指す「放送コンテンツ海外展開促進機構」を設立した。日本の放送局は長年にわたって、それぞれ独自にテレビ番組を海外に売ってきた経緯があるわけだが、それほど大きな成功があったわけではない。そこで、テレビ番組を海外諸国に売るために、官民挙げての大掛かりなオールジャパン体制が組まれたのである。国を挙げての取り組みだから、最近ではテレビ番組の海外展開に関して全国紙などでも取り上げられることも増えた。
 そんな中、今年に入って、日本のテレビ番組の海外展開に大きな動きがあった。まずは今月22日にスカパーがインドネシアで「WAKUWAKU JAPAN」という、24時間日本の番組を専門的に放送するチャンネルを立ち上げた(スカパーのプレスリリースはこちら)。総務省、経産省、観光庁などが関わる大掛かりなプロジェクトで、件の政府補正予算が字幕や吹き替えに使われる。開局に先駆けて行われた記者会見も大賑わいだったようだ。
 まるで、日本のテレビ番組の海外進出における新たな一歩のような注目のされ方だが、こういうチャンネルって、実はこれまでもアジア諸国に存在していた。日本の番組に対するニーズが高い台湾には以前から複数の日本番組専門チャンネルがあるし、意外なところでは、事実上地上波放送で日本のドラマやバラエティ番組が放送できない韓国にも存在する。このように、多チャンネルの1つとして、日本の番組を専門的に扱うチャンネルがあることは別に珍しい話ではない。日本主導のものでは、今から18年ほど前にTBSと住友商事が取り組んだシンガポールの「JET」(Japan Entertainment TV、後に台湾へ移行)があったし、今回のWAKUWAKU Japanに似た感じならば、今からちょうど1年前に電通と民放4局が中心になってシンガポールに設立された「Hello Japan」がある。
 でも、こういったチャンネルがきっかけで現地に日本ブームが巻き起こったなんて話はあまり聞かない。なぜかというと、これらのチャンネルはケーブルとか衛星放送で視聴可能な数多あるチャンネルの1つなわけだが、プラットフォームのリーチが小さい。先のシンガポールの日本番組専門チャンネルの場合、プラットフォームである現地のケーブルテレビでの視聴可能世帯は57万世帯である。今回のインドネシアの場合でも、WAKUWAKU JAPANが見られる衛星放送の契約世帯が200万である。それらの数を上限として、視聴者は数百のチャンネルに細分化される。日本番組専門チャンネルを見る層は一体どれくらいいるのだろうか。そもそも、チャンネルは認知されるのだろうか。アメリカのように多チャンネルが進むメディア環境では、各チャンネルは他チャンネルとの差別化のためにブランド戦略に注力するのが常だが、そういった面での取り組みも重要だと思われる。
 もう1つ懸念されるのは、日本の各放送局からどこまで魅力的なコンテンツが集まるか、という点である。当然ながら採算ベースを重視する各局にとって、日本番組専門チャンネルに優先的にコンテンツを出すインセンティブは必ずしも高くないかもしれない。さらに、潜在視聴者数が少ない中でどれだけ広告主が集まるか、逆に、広告収入に期待できないとして、魅力的なコンテンツが不足している中で課金システムが成立するか、など課題は多い。鳴り物入りで始まったシンガポールのHello Japanもコンテンツが集まらず、記念すべき開局記念番組が日本で6年前に放送が終わっている『ウルトラマン・メビウス』だと聞いた時には、なんか違うんじゃないかと感じた記憶がある。
 今回、インドネシアで始まるWAKUWAKU JAPANはどうだろうか。目を引くところでは『あまちゃん』とかJリーグ中継である。それらがインドネシアの視聴者にどの程度訴求するものなのかはわからない。ただ、日本から調達可能なコンテンツを単に並べているだけではなく、インドネシア視聴者の嗜好・関心、さらにチャンネルの使命である他産業への経済効果を勘案して番組編成をしているのだろうから、今後の成り行きに注目したい。そうそう、WAKUWAKU JAPAN開局を伝えたメディアには、その後もきちんと報道してもらいたい。コンテンツ海外展開話って始まる時は大きく報じても、その後どうなったのかぱったり情報が途絶えることが多い。
 一方、ベトナムからは、現地の地上波放送で日本企業が提供スポンサーになって日本のドラマが放送されているというニュースが入ってきた(朝日新聞「ドラマ輸出、CMもセットで 相乗効果で日本を売り込み」)。先のインドネシアの日本番組専門チャンネルとは異なり、ベトナムで多くの人に親しまれてきたチャンネルでの放送である。視聴者に予備知識も期待も乏しい外国のテレビ番組が短期間で注目を集めるためには、地上波放送のような圧倒的なリーチを誇るメディアに乗せることが最も有効であることは確かだろう。以前から指摘してきたとおり、『冬のソナタ』が日本で大きな注目を集めた要因として、NHKという日本代表するテレビメディアで放送され、また、そのNHKが大々的なプロモーションをしたことは大きい。
 では、上掲記事が注目している、番組の日本企業のCMとのセットはどうだろうか。最初に思ったのは、番組と提供スポンサーのマッチングが難しい上に、それを維持していくのも結構大変そうだなってことだった。こういった動きに賛同して、提供スポンサーに名乗りを上げる日本企業がどれくらいいて、しかもその中でも、番組のメイン視聴者を主なターゲットとする企業がどのくらいいるものなのだろうか。そう考えると、日本の番組を根付かせるため一時的措置のような気もする。仮に、日本の番組がベトナム視聴者に定着し、一定の人気を獲得できるようになれば、現地企業の中にも広告主になりたいという希望は増えるだろうし、日本企業にしても、別に日本の番組に限定しなくても、顧客と視聴者が合致する現地の番組(おまけに通常そちらの方が視聴率は高い)の提供スポンサーになればいいだけの話のように思える。 

12:43:09
 アメリカの日本番組チャンネルで『半沢直樹』最終回の放送が終わってからまだ10日ほどしか経っていないので、いまだにあの作品の視聴感が頭の中に鮮烈に残っている。そんな中、「日本で話題のドラマ『半沢直樹』、新年初日韓国放映」というニュースが入ってきた。僕は昨年、日本のテレビ番組の韓国での放送・受容に関しては恐らく日本で唯一の書物を上梓しているので、こういった動きは当然要注意である。
 あまり知られていないかもしれないが、実は韓国の地上波放送では日本のドラマが放送されることはない。別に放送法で日本のドラマの放送が禁じられているわけではない。ただ、その一方で国民感情を損なわせる番組の放送は禁じられており、日本のドラマはそれに該当すると捉えられる可能性が高いため、放送事業者は誰も敢えて危険を冒して放送しようとはしない。日本に関しては言論の自由をいとも簡単に放棄してしまう、いかにも韓国メディアらしい論理である。
 以上のようなロジックで長年にわたってドラマのみならず、日本の大衆文化は韓国から締め出されてきたのだが、15年前から徐々に正式に開放されるようになり、ドラマも9年前からケーブルチャンネルでは放送されるようになった。しかし、ケーブルテレビでの放送だけではいかんせんリーチは限定的で、一作品が大きなブームにはなりにくい(対照的に『冬のソナタ』はNHKが衛星放送~地上波放送することで人気が頂点に達した)。韓国ではこれまで200タイトル以上の日本のドラマがケーブルで放送されてきたものの、多くの作品が視聴率1%に遠く及ばない惨憺たる結果に終わっている。
 こういった結果を持って、韓国の紙媒体などは「日本のドラマは韓国では受けない」などと断定してきた。しかし実は、日本のドラマの多くは日本での放送直後に韓国の動画サイトに韓国語字幕付きで違法にアップロードされ、日本のドラマに関心がある若者の多くの需要を満たしているのである。それから何か月か経って、ケーブルチャンネルで正規に放送されても、視聴者数が頭打ちなのは当然である。日本の番組販売側も韓国の番組購入側もそのことを熟知しているので、積極的に日本のドラマ売買に乗り出さない。つまり、表向きの規制を隠れ蓑に違法動画が隆盛を極め、結果的に正規ビジネスが成立しないという、コンテンツ事業者にとっては非常に劣悪な市場環境に陥っているのである。
 そんな中、日本で40%を超える視聴率を叩きだした『半沢』の韓国登場である。タイトルは「한자와나오키(ハンジャワナオキ)」(韓国語の発音には「ザ」の音がない)。例の名セリフ「やられたらやり返す。倍返しだ」も「당한 만큼 갚아준다. 배로 갚는다」と韓国語になっている。予告動画を見ると半沢っぽい声の人が起用されているようだが、実際は吹替え版と字幕版の2バージョンがあるようだ。
 さて、『半沢』は韓国で成功を収めることができるだろうか。『半沢』は10月には台湾や香港でも放送され、相当な人気を誇ったようだが、それらの国・地域と韓国とでは、一般的に日本の番組視聴をめぐる諸要因が違う。もちろん韓国の方がハードルは高い。
 理不尽な会社組織内部での不正や派閥争い、あるいは勧善懲悪などは、韓国人視聴者にも理解しやすいどころか、恐らく好まれる要素だと思う。ややマンガっぽいところがどのように捉えられるかわからないが、出演者が一様に演技派なのは好評価だろうし(韓国では日本のドラマは演者が下手と広く信じられている)、激しい感情吐露も韓国人好みだろう。一方、上司に楯突くシーンとか恋愛要素の少なさは韓国人視聴者にはぴんと来ないかもしれない。
 しかし、こういった要素は、もし『半沢』が韓国で成功すれば肯定的要因として、逆に失敗すれば否定的要因として見なされるように、結果次第で解釈が変わりうる。例えば、上司に楯突くシーンも、もし作品が成功すれば「韓国人には見慣れないが、その分新鮮に映った」、失敗すれば「あれはやり過ぎで、韓国人の情緒には合わない」と評されるかもしれない。コンテンツの海外展開の成功・失敗要因を作品の中身だけで分析しようとすると、どうしてもそういった後付けの恣意的解釈に終始してしまいがちである。数年前に日本映画『おくりびと』がアカデミー賞外国語映画賞を獲った時も、下馬評では納棺師という仕事が外国人に理解できるか懐疑的な声が多かったが、賞を獲った後は「死に向き合う姿勢は文化や国境を越えて広くアピールした」などと評価されていたのである。
 実の所、海外市場でのコンテンツの成功・失敗は、作品の中身もさることながら、どれだけ視聴者の関心を喚起できるか、そして、コンテンツがどういう状態で視聴者や観客に届けられるかによる部分が非常に大きいと思う。極端な話、駄作でも話題性作りと宣伝でセールスはある程度伸ばすことが可能である。では、韓国における『半沢』はどうだろうか。予告動画では、最終回が日本で42.2%の視聴率を取ったことを強調している。ハリウッド映画によく見られる、本国でどれだけヒットしたかをクオリティの裏付けに使う手法である。しかし、出演者が現地を訪れるなどのプロモーションはいつものように行われないようだ(外国市場にコンテンツを売り込む時、実はこの手法は有効なのだが…)。
 一方、なんといっても大きな懸案事項は、そもそもこの作品に関心があると思われる視聴者の多くは、先述のように違法動画で既に視聴済みである可能性が高い点である。日本での放送から時差なく、動画サイトで『半沢』を見た視聴者が数か月後ケーブルチャンネルで再び見るだろうか。そこに何か新しいプラスの要素があれば良いのだが、リアルタイム視聴に縛られるというマイナス要素はあっても、プラス要素はなかなか思い浮かばない。このように考えると、『半沢』のように非常によく作られていて、実際に日本や台湾・香港でも成功を収めたドラマをもってしても、韓国市場での商業的成功は難しいのかと、なんとも無念な気持ちになる。違法動画が圧倒的な速さで流通し、正規ビジネスが成立しないという異常事態が改善される日は来るのだろうか。

 
 

12:05:38
 今の若い人は知らないかもしれないが、1990年代、フジテレビの月9ドラマなど若者向け作品は台湾や香港の若者にも絶大な人気があった。彼の地で日本ドラマの作風や演出が新鮮だっただけでなく、木村拓哉らが演じる登場人物がライフスタイルを提示するモデル的役割を果たすなどと評されていた。もちろん、そこに描かれていたのはドラマタイズされた日本・日本人であり、多かれ少なかれ現実とは異なるものだが、その当時日本はクールだと思わせるような効力はあったのかもしれない。しかし、それらのドラマが台湾や香港で金を稼いでいたかというと、大きな儲けにはなっていなかった。ましてや、ドラマの影響で日本への旅行者が増えたり、ドラマに登場する製品が売れたりして日本経済に貢献したなどという話はあまり耳にした記憶がない。
 5月17日、安倍首相は成長戦略を発表し、その中で柱の1つとして「クールジャパン戦略」を挙げた。コンテンツ関連としては、2012年度の補正予算170億円に加え、 2013年度予算として官民ファンド創設に500億円を投入して、輸出を政府として支援する方針である。またしても、「なんでそんなことに公金をつぎ込むのか」という声が起きそうだが、いずれにせよ、そういう方向に進んでいる。数多あるコンテンツの中でも、とりわけ放送番組の海外展開に着目し、輸出額を5年後までに3倍増にすることを掲げている。近年の日本のテレビ番組の輸出額は70~80億円でほぼ横ばいが続いているので、2018年に200億円以上を目指すということになる。ジャンルの内訳を見ると、現状では輸出の多くはアニメ番組なのだが、今後はドラマなど実写番組に力点を置くようだ。
 安倍首相はテレビ番組輸出増計画がよほど気に入っているのか、先月の衆院予算委員会でも言及していて、「日本のテレビ番組を見た海外の視聴者から、日本のライフスタイルはクールだ、日本に行ってみようと思われる」、つまり、テレビ番組は日本人気を後押しし、最終的には他産業への経済波及効果があると見解を示している。具体例として、日本のある地方局の番組がフランスで流れ、そこで紹介されたきゃりーぱみゅぱみゅが人気を呼び、岡山のジーンズの売り上げ増加につながったことを取り上げ、テレビ番組が生む、このような効果を期待していると述べている。しかし、そのように首尾よく行けば良いとは思うものの、官僚が描いた根拠の薄い机上論に、むしろ「絵に描いた餅に終わらなければ良いが」と不安を覚えた。先月僕は「ポップカルチャーに過大な期待をしていいものか?」という記事を書いたが、今回の首相の一連の発言でも同じような感慨に浸った。つまり、「テレビ番組に過大な期待をしていいものか?」と。
 現在のところ、日本のほとんどの番組は国内市場向けに作られている。番組輸出額を3倍にしようと思ったら、まずはその部分を改革して、海外に売るための番組作りをしていかなければならなさそうなものだが、その可能性は低いだろう。なぜなら、海外向けに番組を作ってビジネスとして成功するという体験もビジョンも、日本のテレビ放送産業に決定的に欠けているからである。国内市場がシュリンクしている今だからこそ海外市場に行くべきという説はもっともなのだが、近年のように視聴率や広告収入の低下に苦しむ中で、敢えてそのような不確定要素の多い試みをする局があるだろうか。どちらかと言えば、キー局よりも地方局の方にまだ期待はできそうだが、その場合、輸出先で大きなムーブメントを起こすことは現実には難しいかもしれない。
 では、既存の番組販売方法で額を増やすことはできないのかというと、「これまでなぜ売れなかったのか?」、つまり、海外のバイヤーが日本の番組を買うことを躊躇ったのはなぜかを考えなければならない。以前に著書で多くの紙幅を使って論じたり、ブログでもいくつか関連記事(例えばこちら)を書いたが、売れなかった原因は大雑把にいって「コストパフォーマンスが悪い」という点に集約されると思う。よく言われるように権利処理は確かに複雑だが、ある程度時間とカネをかければ何とかなる。ただ、その分のコストが販売価格に反映されると価格競争で勝てない。しかも、安くもない上にネットでの配信権はない、出演者絡みのPRはダメ、再放送も制限付き…などとなれば、買う気も失せる。その一方で、別に日本の番組にプレミアム感があるわけではないので、差別化戦略も取れない。安倍首相もテレビ番組輸出のボトルネックとして権利関係の複雑さを指摘していたけれど(正直、そんなことまで首相が指摘する必要あるのかと思ったが、誰か側近の入り知恵か)、とにかく高コスト体質をなんとかしないと、海外市場で競争優位を得ることは難しい。
 しかも、日本側の販売窓口になるテレビ局だって、1話売って数万~数十万円程度の儲けでは、なかなか本腰を入れる事業にはなりにくいのが本音だろう。結局、どのような番組を売るにせよ、販売の主体となるテレビ局のモチベーションを高める必要があると思うのだが、一連の施策を見ていると、そういった部分があまり感じられないのである。こういうテーマで論じると割とよく勘違いされるのだが、テレビ局は別に文化交流の担い手として海外番販をしているわけじゃなくて、あくまで採算性に基づくビジネスとして行うわけで、これはNHKも例外ではない。仮に経済波及効果があるとしても、少なくとも近視眼的にはテレビ局にはそれほどメリットに感じられないだろう。
 あと、今回の政府のテレビ番組海外展開の施策を見てみると、番組のローカライズやプロモーション、国際共同制作への支援と並んで、海外放送枠の確保が打ち出されている。恐らく東南アジア諸国の現地メディアで日本の番組を流す枠を確保するということだろうが、この点に関しては注意深く行う必要がある。
 まず、現実的に日本の番組の買い手になりそうなのはケーブルチャンネルや衛星チャンネルだろうが、もし本気で現地で日本の番組を奇貨として日本ブームを起こしたいのならば、ケーブルや衛星で細々と番組を流すのではなく、地上波放送局を目指すべきである。日本で『冬のソナタ』が話題となったのは、作品の質云々よりも、NHKという日本で最も影響力のある放送局がプライムタイムに流すと同時に、大掛かりなプロモーションを仕掛けたことが大きかったと思う。その後、韓国ドラマが雪崩を打って入ってきたのである。それと同じようなことを今更日本が国を挙げてやろうとすることに違和感はあるが、総務省も経産省も韓流をモデルにすることに執心なので、理解される点だとは思う。
 ただし、どうやって収益を確保するかという点には疑問が残る。韓国ドラマの場合、東南アジアにタダ同然で配って、それがコンテンツ不足に手をこまねいていた現地メディアのニーズと合致した経緯があるが、日本市場という稼ぎ場所も確保していたので、前者では大した儲けにならなくても、韓国ドラマを大量に供給し続ける状況を作り出せた。一方、日本の番組には、韓国ドラマにとっての日本市場のような「稼ぎ頭」がない中で、どのように収益を確保していくのだろうか。
 あともう一点、日本政府がカネを払って海外の放送局に日本の番組を流させるという動きは、捉え方によっては、現地で文化帝国主義として批判の矢面に立たされる可能性もあるだろう。特に地上波放送であれば、尚更である。もしも同じことを中国や韓国でやれば、それこそ大騒動に発展しそうなことは明らかだが、東南アジア諸国ではそういった心配はないのだろうか。とにかく、非常に試算が甘いと言わざるを得ない経済波及効果もそうだが、数百億円も投入するならば、もう少しきちんと実証実験をやるなりした方がいいんじゃないかと思う。

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大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
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