地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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21:20:44
 先日、大阪で「テレビの未来と可能性 関西からの発言」と題したシンポジウムがあった。パネリストはそれぞれの立場からテレビ論を展開していたが、個人的にはローカル放送やローカル番組の現状や将来を考えてみたいと思っていたので、関西や大阪のメディアという視点で話す人たちの話が特に興味深かった。
 読売テレビの脇浜紀子アナウンサーは地域放送に関して話していた。よく知られるように、日本の民間地上放送局は基本的に各都道府県単位で免許が交付されている。ただし例外があって、東京、大阪、名古屋の局はそれぞれ首都圏1都6県、関西圏2府4県、中京圏3県というふうに複数の都府県にまたがる広い地域を対象に放送していている。比較するなら、東北地方は6県それぞれに3~4局の民放局があるのに、関西地方は大阪の民放局が地方全体をカバーしているのである。
 なぜこれらの地域にだけ3県以上にもまたがる広域放送局が成立しているのか、僕は以前から疑問に思っていて、多くの人に尋ねてきたが、いまだに明確な理由はわからない。これらの地域は平野なので広範に電波が届くからとか(関東・中京はともかく、関西は山だらけだが…)、これらの地域はそれぞれ1つの大きな生活文化圏や経済圏を形成しているからとか(神奈川と北関東が同じ圏か?)、東名阪の古参局は1957年に全国でテレビ局が大量認可され、放送エリアの県域制が施行されるよりも前に、既に広域を対象に放送を開始していたからとか(放送エリアは早い者勝ちか…)、どれもイマイチ説得力に欠けるようである。もしもご存知の方がいたらご教示願いたい。
 話がそれたが、このようなテレビ局分布の偏りが生む視聴者あたりの地域情報の格差を脇浜さんは指摘していた。例えば、大阪のテレビ局は約2000万人(2府4県の合計)が視聴可能で、熊本県のテレビ局は182万人が視聴可能である。一方、民放の数は前者が5局に対し、後者は4局である。つまり関西では視聴者400万人に民放1局に対して、熊本県では50万人弱に民放1局存在することになる。
 問題は、大阪のテレビ局が関西全域をカバーすると言っても、そこで作られる番組が取り上げる情報や話題は大阪市・大阪府のものが圧倒的に多く、それに比べて関西他府県の話が少ない点だ(これは僕が京都に住んでいて、日頃、大阪のテレビ局を見ていても感じる点である)。しかも、ニュース番組内のローカルニュース枠の時間は、大阪の読売テレビが3分10秒であるのに対し、熊本の熊本県民テレビは4分35秒である。つまり、大阪の局は少ない時間で、より広範かつ多量の視聴者に情報を届けなければならず、視聴者にとっては、自分の生活にかかわる地域情報に接する可能性は必然的に低くなる。
 実は関西地方には、ここまで述べた大阪を拠点とする広域局とは別に、兵庫県のサンテレビ、京都府のKBSなど、それぞれの府県に民放(独立UHF局)が1局ずつ存在している。しかし、人口が262万人の京都府であってもKBSの1局のみであり(しつこいようだが、人口182万人の熊本県には4局ある)、そこで放送される番組も通販番組と再放送ドラマがとにかく多い。今年4月に祇園で暴走事故が起きた時、通販番組を放送していたのには本当に愕然とした。現実的には、圧倒的多くの視聴者が大阪局の広域放送を見ているのである。
 広域放送は、放送局にとってはより大きな放送市場を確保できるわけで、広告収入が基本的には潜在視聴者数に比例する以上、ビジネス的観点から見れば望ましいことである。しかし、視聴者の立場からすると「自分たちの住む地域をカバーしている放送局」ではあるものの、「自分たちの街の放送局」とは捉えにくい。こういった事態は関西に限らず、首都圏や中京圏も同じはずだ。この点は、テレビ放送におけるローカリズム原則に明らかに反すると思うのだが、民放地上波放送局の再編が話題となる今日では、このことに今さら異を唱える声はあまり聞かれないし、改善は難しそうだ。
 朝日放送の松本修プロデューサーと関西大学の黒田勇教授は、大阪のテレビ局制作の番組に関して話していた。ちなみに松本さんは『探偵!ナイトスクープ』を立ち上げた、業界では有名な人である(『ナイトスクープ』に関しては、過去のエントリー「金曜夜のユルいテレビ番組」で書いている)。
 先ほどから書いているような大阪のテレビ局は、東京のテレビ局と並び、日本を代表するテレビ局である。それぞれ伝統があり、市場規模が大きく、北海道から九州・沖縄までの放送局をつなぐ系列グループの中では、東京の局が「キー局」と称されるのに対して「準キー局」と位置付けられ、中心的な役割を果たしてきた。
 かつては大阪のテレビ局が地元で収録した番組が全国で放送され、大人気になることはそれほど珍しいことではなかった。僕が20年ほど前に日本テレビに入社した頃も同系列の読売テレビの存在感は大きく、ゴールデンタイムでいくつか放送枠を持っていたし、名物深夜番組『11PM』やその後番組の『EXテレビ』では火曜と木曜が読売テレビ制作だった。そこでは、明らかに東京制作の番組とは違う、独特な企画・演出を目にすることができた。確かに日本には2大テレビ文化が存在していたのである。
 もちろん今でも大阪の局は、キー局を除いたその他の局に比べて規模や体力は大きい。地方局の多くが放送時間の多くを同系列のキー局制作番組に充て、「東京制作の番組を流しているだけ」などと時に批判されるのに対し、自社制作番組の割合は相対的に高く、独自の編成を保っているとも考えられる。しかし、実際に関西にいて、それらの局の放送を見ていると、かつてのような「キー局へのカウンターバランス」というよりは「規模の大きいローカル局」といった感じがしてしまうのである。日本社会で政治・経済・情報・文化の東京への一極集中が加速する中で、テレビ業界も東京のキー局への集中が進んだ。
 現在のテレビはバラエティ番組全盛であるが、1980年の漫才ブーム以降、大阪のお笑い番組の空気や様式が、東京の(つまり全国ネットの)バラエティ番組に影響を与えてきたことは確かだろう。そういったジャンルでは大阪の局の方が何歩も先を行っていたのだから。しかし今や、全国ネットのバラエティ番組はある種の定形が確立しつつあり、大阪の番組的世界は、その1つの要素に過ぎないように見受けられる。また、バラエティ番組の中心を担うお笑い芸人にしても、大阪は依然として多くの人材を輩出しているが、彼らの多くにとってデビュー後に大阪のテレビに出演することは将来的に東京制作の全国ネット番組に進出するための足掛かりに過ぎないようだ。松本さんが言っていた「大阪でお笑い番組を作るのは、(東京という1軍に対する)2軍の世界」という指摘は厳しくも適切なように思える。彼は朝日放送に入社した時、「お笑い番組の本場で仕事ができる」と思ったそうだが、現在そういった志を抱いて大阪の局に就職する若い人がどれくらいいるのだろうか。
 大阪のテレビ局の地盤沈下は以下の点にもみられる。今日、世間一般の大阪イメージは非常にステレオタイプ化されている。その典型的なものとして黒田教授は「お笑い、阪神、たこ焼き」とを挙げていたが、他にも「アホ」、「コテコテ」、「下品」などもあるかもしれない。それらはメディア、特にテレビによって生産・増幅されてきたわけだが、テレビと言っても東京のテレビである。つまり、それらは東京の視点に立った大阪イメージであり、それが過去20年ほどの間に全国に広がったのである。
 なかなか面白いのは、黒田教授が指摘したように、大阪のテレビ局、そして大阪の芸人がそれを内面化している点である。普通であれば、他者が勝手に思い描き、広めようとする自身のイメージなど反感の対象になるものである。ところが、大阪の芸人たちはネタにせよ、それを受け入れ、そのような役割を演じる。まあ、それは人気商売だからわからなくもない。しかし大阪のテレビ局も、そのようなイメージを自ら強調することで、東京の局、そして恐らくその先にいる全国の視聴者の期待通りのコンテンツを作ることに一生懸命になってしまっているのである。つまり、他者に押し付けられたイメージを飯のタネにしているという話であるが、情報メディアとしてはちょっと情けない。
 やはり大阪のテレビ局には頑張ってほしいと思う。マンネリ感に陥っている日本のテレビ状況は、取りも直さずキー局から新しいコンテンツが出てこないことに起因する。この閉塞感を打ち破るのは、現在の大阪の局には果たして荷が重いのだろうか。現在のテレビ番組がつまらないのは、依然と比べて低コストのものばかりが流れているからとよく言われるが、大阪の局の人は昔から言っていた。「カネかけて面白いのは当たり前。カネかけんと面白いものを作るのがプロ」と。この精神を今こそ発揮してほしいのである。
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23:05:03
 いくつかの大学でメディア関連の講義を行っている職業柄、大学生とテレビについて話す機会は多い。まず思うのは、彼らは基本的にはあまりテレビを見ていないということだ。ただ、それをもって「最近の若者のテレビ離れ」と言い切るのは見当はずれだと思う。昔も今も大学生をはじめとする若者は基本的にテレビを見ないものである。
 僕が大学生だったのは今から20年ほど前だったが、テレビを見まくってる奴は周りにいなかった。その頃はちょうどバブル期で、明るい世の中にはテレビより面白いものが溢れていたということはあったと思う。でも今の大学生も、それが遊びなのか、バイトなのか、それ以外の何かなのかはわからないが、家の外でやることは結構あって、結果的に家でテレビを見る時間は多くなさそうだ。高校までは大学受験を控えていたり、外で遊ぶ時間も金もなかったり、親がうるさかったりで、家にいる時間が結構長く、従ってテレビを見られる環境にいる時間が長いのだが、大学に入った途端、それまでとは異なる生活を送るようになり、多くは外に飛び出し、結果としてテレビを見る機会が減るのである。この点は昔も今も基本的には同じだと思う。そう考えれば、テレビ局の面接で入社希望の大学生が揃いも揃って「テレビ大好きで、見まくってます」とかいうのって、なんか嘘っぽいな…。
 当然ながら、人によってテレビを見る時間は大きく異なる。日本人は平均で3時間半テレビを見るとよく言われるが、その数字にはあまり意味はない。むしろ重要なことは、テレビの視聴時間は個人差が大きく、一般に在宅時間に比例しているということだろう。在宅時間が長い主婦や高齢者は視聴時間が多く、そしてそれとは逆に、在宅時間が短い会社員や大学生は必然的に少なくなる。大学生はテレビを見られる環境に身を置く時間が少ないのである。
 一方で、(冒頭の一文とは矛盾しているようだが)大学生は在宅時などテレビを見られるような時は、意外とテレビを見ているようにも感じられる。つまり、テレビを見られる時間自体はそんなに多くないけれど、そういう時は割とテレビを見ていたりする。圧倒的に深夜が多いだろうが、たまに朝や午後帯の情報番組やワイドショーも見ている。きっと彼らにとって、テレビは空いた時間に見るものって感じなのだろう。そのためだろうか、遊びにバイトに忙しいゴールデンタイムの番組は相対的にあまり見られていないような印象を受ける。
 実際のところ、大学生が見て面白い番組が今日多いのか少ないのかはよくわからない。ただ、彼らがあまり積極的に面白い番組を求めているようには見えないし、テレビに対する期待値自体がそもそも低いのかもしれない。面白い番組を求めているのなら、ゴールデンタイムは依然として若者向け番組が中心なので、仮にその時間に家にいないとしても、興味の引かれる番組をHDDに録画してタイムシフト視聴しそうなものだ。ところが、基本的にそういうことはしてない人が多い。ちなみにHDDを最も多用している人たちは中高年女性たちだと聞いたことがある。こういう人たちは「あれも見たい、裏番組のこれも見たい。どっちも絶対見逃したくない」というヘビー視聴者層なのだろうが、大学生たちがテレビに対してこのような情熱を持っているようには見えない。別にテレビが嫌いなわけではなく、あくまでたまたま家にいる時間に面白そうな番組があれば見てもいいかなというライト視聴者といった感じで、そして現実的には、1日の終わりの深夜、なんとなくボーっと見るのがテレビなのである。仮に現段階では進んでいないテレビ番組のネット配信が今後盛んになったとしても、そういった「ガシガシ検索して、見たいものを見つける」というスタイルに大学生はそれほど魅力を感じないかもしれない。
 いずれにせよ、大学生はあまり能動的視聴者といった感じはしない。しかもテレビに対して期待値が高くないから、テレビと真正面に向かい合って真剣に番組を見るという感じではない。最近よく指摘されるように、多くの大学生にとってテレビはケータイと同時に使うものなのである(厳密にはケータイはいつも手放せず、従ってテレビを見る時も当然ケータイ持って見るというのが正しいかも)。
 このような状態では、目はテレビ画面とケータイ画面を行ったり来たりしている。一応最初はテレビを見始めるが、つまらなければ気持ちはケータイへ向かう。ところが、目と違って、耳はずっとテレビからの音を聞いていて、テレビから何か面白そうな話題が聞こえてくれば、ケータイを見るのをやめて、視線を再びテレビに映す。こういう動きって、僕には学生時代にラジオの深夜番組を流しながら、試験勉強していたことなんかが思い出される。実際、ケータイいじりながら聴いているだけなら、テレビじゃなくてラジオでもいいんじゃないかとさえ思うのだが…。
 結局、ラジオにせよテレビにせよ、「ながら接触」ができるというメディア特性があるわけだが、テレビ番組には大きく2つの方向性が開けてくると思われる。1つは、なるべく長い時間、目をテレビに向けてくれるようなコンテンツを放送すること。極論を言えば、ケータイを持っていることを忘れさせるほどの視聴者が入り込んでしまう番組である。一瞬たりとも目が離せないような作りこんだドラマも、白熱した議論を展開する討論番組も、そういった「じっくり見てもらう系」コンテンツだろう。でも、深夜にボーっとテレビを見たいという生理に合うかどうかという問題はある。
 もう1つは、Twitter、Line、あるいは掲示板などで話題になったり、実況ネタになりそうな番組を放送することである。大事なのは、リアルな時間軸を共有する誰かと一緒に番組を見ているような擬似的感覚が得られることだろう(上述のテレビ番組のネット配信が大学生受けしなさそうという根拠はここにもある)。この場合、上の例とは逆に作りこむと逆効果で、むしろ真剣に見せないために適当なユルさ、ちょっとテレビを離れてケータイへ行き、また少しして戻れるような出入り自由なユルさが求められる。あとはツッコみどころがたくさんあることも重要だろう。そういった番組を作るには制作者側に才能とセンスが必要になってくる。現実に大学生が見るような深夜番組の多くは恐らく既にそういったことを意識した作りをしていると思われるのだが、こうなってくると、最早ケータイ・コミュニケーションが主で、テレビはそのためのエサ程度のものと言ってもいいのかもしれない。CMスポンサーなんかは、そういった動向をどう思っているのか知りたいところだ。

20:32:34
 先週、総務省でコンテンツ振興関連のヒアリングを行ってきた。今年3月に発足したコンテンツ海外展開協議会が8月に報告書を出したばかりなので、現状を体系的に理解するには良い機会だった。
 既存のテレビ番組の海外販売が相変わらずパッとしない点は今更ここで強調する必要はないだろう。原因が何かという点もハッキリしている。ご存じでなければ、弊ブログの過去のエントリーをご覧頂ければ幸いである(「海外に売れない日本のテレビ番組①~儲けにならない海外市場」以下4篇)。ただ問題は、権利処理の問題であれ、違法動画の流通であれ、不振の原因が2000年代初頭から指摘されているのに、それらを改善できない点にある。関係省庁は施策を案じてはいるし、実際に対策に乗り出している部分もあるが、これだけ時間をかけても効果がはっきりと出てないところを目の当たりにすると、それらの問題点が構造的に根深いものであると同時に、テレビ番組の海外展開は大きな方向転換も必要なのではないかという気になる。つまりドラマであれ、バラエティ番組であれ、日本で放送したものを海外市場に売るという、従来の番組販売方法、大した成功につながらないビジネスモデルの見直しである。
 新たな取り組みの1つは、これも以前のエントリーで書いたが、番組フォーマットの販売である(「日本のバラエティ企画、海を超える!?」)。フォーマット販売に関しては、企画力があり、マス向けコンテンツを制作するノウハウを持つキー局が主に考えていかねばならない部分だろう。ただし、あくまで民間ベースの事業であり、官が入り込む余地は少ない。
 もう1つは、ローカル局や制作会社が海外向けの番組(地域コンテンツ)を作り、海外市場で展開していくというものである。番組内容は地域の活性化を目指すものであり、観光をアピールするものが中心になる。一番有名なのは(といっても日本国内ではほとんど目にする機会がないので、日本人視聴者には馴染みないものだが)、北海道テレビが制作している『北海道アワー』という東アジアを中心に放送されている番組で、実に15年の歴史を持つ。実際に放送を続ける中で、台湾からの観光客が増えたそうだ。その番組を1つのモデルとして、全国各地の他のローカル局も「自分たちも何かできないか」と考え始めているという。
 このような地域コンテンツのメリットはいくつか考えられる。まずは、ローカル局にとって番組・カネ両方におけるキー局への依存が高まる中、このような独自のビジネスを展開することが評価に値する。次に、観光客を呼びこむ、いわゆるインバウンド効果が期待できる。名産品や食などとの連携も可能だろう。また、比較的廉価でコンテンツを制作・運用できる点も重要だ。地場産業の協力があれば、コストダウンにつながる部分もあるだろうし、あくまで海外市場向けに作っているのだから、従来の海外番組販売に比べて権利処理の煩雑さも回避できそうだ。
 ただし、現時点では課題も多い。まずは、地域コンテンツのコンテンツとして特性が挙げられる。「コンテンツを利用した観光促進」として思い浮かぶのは映画やドラマ、アニメなどのロケ現場である。それらのコンテンツではストーリーが展開する中で、その舞台となる街が魅力的に描かれているから、人々はロケ地巡りやアニメにおける聖地巡礼に憧れるのである。そういったコンテクストが存在しない観光紹介番組で、ロケーションはどれだけ人々に訴える力を持つのだろうか。例えは悪くなるかもしれないが、人気のある俳優が映画やドラマの魅力的なコンテクストの中で使うグッズだから、観客や視聴者の中にはそれを買いたいと思う人がいるわけであって、同じグッズでもそれを売るための通信販売番組で紹介されれば訴求力はぐっと落ちるのではないかと思うのである。
 あと地域コンテンツを制作するといっても、ローカル局によって(厳密には、その局の後背地域によって)観光資源には差がある。北海道や関西のテレビ局であれば名所史跡・文化・自然なども豊富だろうが、もっと小規模な県の放送局であれば、一体何を取り上げれば良いのやらという話になっても不思議ではない。
 次に、地域コンテンツを流すチャンネルの問題がある。外国の地上波放送で、日本の一地方を紹介する番組が放送されることは難しく、従ってケーブルチャンネルや衛星放送が主なアウトレットになる。アジアには日本の文化を紹介する専門チャンネルが存在する国もあるが、それにしてもコンテンツを露出する場は相当限られてしまう。チャンネルが確保できないと継続的にコンテンツを発信することができないので、この部分は総務省が支援しているのが現状だ。
 そもそも地域コンテンツはどうやってマネタイズできるのかという問題もある。リーチの小さいアウトレットでやっている以上、大きなビジネスにはなりにくい。それでも観光業など周辺産業は海外市場の顧客を獲得するためのツールとしてコンテンツを捉えられるだろうが、ローカル局にとってはコンテンツの売上がすべてだ。もちろん「儲からなくても地域のためにやる」という姿勢があれば素晴らしいが、民間放送である以上、当然ながら採算ベースで考えざるをえないのではないか。
 恐らく地域コンテンツの場合、コンテンツ自体がカネを稼ぐというよりも、コンテンツで関連産業がカネを稼ぐことを目標としている。その意味では経済波及効果を期待しているわけだが、今一つの問題点として、プロダクトプレイスメントをはじめとして、コンテンツ露出の周辺産業への効果は非常に測定が難しい点が挙げられる。前述のとおり、『北海道アワー』によって台湾から観光客が増えたというが、実際に番組視聴との相関はどれくらいなのだろうか。北海道を訪れた要因が件の番組視聴だけとは考えにくいが、あまり他の諸要因と比較検討されているわけでもなさそうだ。このように効果をはっきり数値で表すことが難しいからこそ、行政支援を求める声の高まりとは裏腹に、コンテンツ振興関連事業は仕分けや予算削減の対象になりがちなのであろう。

プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
Twitter:@obagoro

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