地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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21:54:24
 今月中旬にJ-CASTがネット上で行った「嫌いなテレビ局に関するアンケート」で、フジテレビは総得票4715票のうち、3分の2に迫る62.7%を獲得して1位になった。もちろん、調査方法の信頼性・妥当性を考えると、この結果を一般化することはできないし、同時期に行われた同じようなアンケートではフジテレビ系列は「最も好きな地上波系列」に選ばれていたりもする。2012年のフジテレビの年間視聴率は全日、ゴールデン、プライムともに3位と低迷したものの、売上高・営業利益ともに民放の中では依然としてトップだし、東洋経済新報の最近の調査「学生が選ぶ人気企業ベスト100」では、ここのところ落ち込んでいた就職人気も急上昇(56位→18位)している(まあ、1位に選ばれていたかつてのことを思うと18位でも低いが…)。近年インターネット上ではアンチ・フジテレビ言説を目にする機会が多いが、フジテレビのブランド力をどう捉えたらいいのだろうか。
 自動車や電化製品、衣類や食品などのブランドと違って話題になることは少ないが、メディア企業にとってもブランドは非常に重要である。映画にせよテレビ番組にせよ、コンテンツの多くは、経験して初めて「面白い」とか「笑える」といったクオリティを判断できる、いわゆる「経験財」であるため、人々の選択決定要因としてブランドが機能する部分は大きい(例えば、「このチャンネルの番組なら面白そう」と思わせる)。しかし一方でテレビ局、特に総合編成を行う地上波放送局にとってブランド構築は容易ではない。ターゲットを絞ることはブランド設定の基本だが、地上波放送は通常、老若男女、学歴、収入などを問わず、広い層をターゲットにしているからである。
 そのような中、フジテレビは若い視聴者をメイン・ターゲットにブランドを築いてきた。よく知られる話だが、フジテレビは1959年の放送開始以来、どちらかというと地味な局で、日テレ・TBSの後塵を拝していたが、1980年代に入った頃、「第2開局」と称されるような大改革を行い、「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズのもと、「軽チャー路線」と称し、お笑い・バラエティ番組中心の編成を進めた。ニュースやスポーツにまで娯楽的な要素を持ち込む一方で、80年代後半のバブル景気時にはトレンディ・ドラマというジャンルを生み出した。
 企業側が定めるブランドの特性をブランド・アイデンティティというが、「明るさ」「楽しさ」「軽さ」はフジテレビのブランド・アイデンティティそのものだった。フジテレビ・ブランド(つまり「フジテレビ」という名称や目玉マーク)は、人々に楽しい気分にさせることを約束する記号であり、1980年代の明るい日本社会と抜群の相性の良さを示した。フジテレビの成功に他局が追従した結果、テレビ全体がどんどん軽いものとなり、明るさや楽しさ、賑やかさが不可欠なものになって行ったが、テレビ界にそういった空気が支配的になればなるほど、本家のフジテレビ・ブランドは強かった。極論を言えば、今日に続く日本のテレビ空間は、この時代のフジテレビが礎を作ったと言ってもいいと思う。
 1990年代になってバブル経済が崩壊しても、フジテレビ・ブランドは安泰だった。景気が後退する中、「せめてテレビでは明るく楽しいものを見たい」と思う人が多かったのかもしれない。また、80~90年代のフジテレビには他局がやらないような実験的な試みも多かった。深夜枠に独創的な番組が多かったこともそうだが、個人的には積極的なアジア展開が忘れられない。『アジアバグース』という汎アジア・オーディション番組、一連の月9ドラマの台湾・香港での大ヒット等々だ。これらのビジネスの収益性は高くなかったと思うが、フジテレビが進取の気質に富む局であることを印象づけた。実は僕が勤務していた局は1990年代中盤から年間視聴率でフジテレビには勝っていたのだが、ブランド力ではフジテレビと圧倒的な力の差がついていた。
 では、実際にフジテレビ・ブランドとはどのような効力があったのだろうか。例えば、特に見たい番組があるわけではないが、テレビのスイッチを入れるとする。この時に真っ先に8チャンネルを押し、面白い番組をやっていなければ他へチャンネルを変えるということが習慣になっていた人は少なくなかったと思われる。2000年3月のNHK放送文化研究所のステーションイメージ調査(1683名対象)では、「最初につけるチャンネル」としてフジテレビを挙げた人は26%で、1位NHKの27%を僅かに下回ったが、「見たい時間に見たい番組をやっていることの多いチャンネル」は23%で2位日本テレビ(14%)を大きく引き離している。フジテレビ・ブランドが多くの人の知覚リスクを低減していたことの証左だろう。なお、好きなテレビ局を尋ねた設問(複数回答)で、フジテレビは46%を獲得し、2位の日本テレビ(38%)、3位のNHK(33%)を引き離して1位になっている。
 この調査で面白いのは感覚的イメージの項目で、フジテレビは「若々しい」「派手な」「ひょうきんな」「感情的な」「庶民的な」というイメージを持たれており、これはNHKの「成熟した」「地味な」「まじめな」「理屈っぽい」「エリート的な」というイメージと全く逆のグラフを描いている。一方、それ以外の局はどこも概して偏りがなく、中庸な評価にとどまっている。これをテレビ局ブランドと言う観点から見ると、フジテレビとNHKだけが明確なブランド・イメージを持たれており、自局と他局を差別化するポジショニングに成功していると考えられる。
 さて、その後の10年余りでフジテレビ・ブランドはどうなったのだろうか。恐らく根本的な部分では変わっていなくて、現在でも明るさや楽しさはブランド・アイデンティティとしてフジテレビの根幹にある哲学みたいなものだろう。ただし、フジテレビ・ブランドは不変であっても、それに対する人々の評価は確実に変わったような気がする。例えば、かつては肯定的に捉えられた「明るさ」は今では「はしゃぎすぎ」「空気読めない」と批判されることがしばしばある。まあ、これはテレビ全般に対して言えることかもしれないけど。
 そしてそれに加え、フジテレビ・ブランドを混乱させるような出来事が表面化してきた。端緒は2005年のライブドアによる買収騒動だろうか。バイタリティ溢れるホリエモンの前でフジテレビは「公共性」という、それまでのフジテレビ・ブランドにはおよそ似つかわしくない言葉を口にするようになった。ところが、公共性を主張する一方で営利追求は露骨さを増し、何かを仕掛けようとすれば、面白がられるよりも「ステマ?」と怪しまれるようになってしまった(こういう点、昔のフジはもっと巧妙だったような気がする)。その極みが「韓流ゴリ押し」だった。実際のところ、昨年8月の竹島騒動以降、さすがにフジテレビの韓流推しも沈静化し、今ではフジが他局よりも韓国ドラマを多く放送しているとか、K-POPを流しまくっているわけではないと思う。ただし、一度貼られたレッテルは容易には剥がれない。今日ではフジテレビと言えば、まず「韓流ゴリ押し」を連想する人は少なくないのではないだろうか。
 あれだけ時代の空気を読むのがうまく、良くも悪くも、視聴者の気分に敏感だったフジテレビが一体どうしてしまったんだろうと個人的には感慨深いが、それでも就職先としての人気や映画やイベントの好調さを見ると、まだまだフジテレビ・ブランドに力はあるような気がする。フジテレビの事業が多角化する今日、それは視聴率では測りきれないし、そもそも具体的な形もないものだが、フジテレビの価値向上にいまだに貢献しているのだと思う。アメリカではメディア企業のブランド力調査が割と盛んに行われるのだが、日本でもやると面白そうだ。
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21:51:44
 前回のエントリーから時間が経ってしまったが、年末年始をはさんで多忙だったということでご容赦頂きたい。さて、以前に書いた拙文「紅白からK-POPが消えた」には多くのご意見を頂いた。通常、クール・ジャパンなど日本のコンテンツ関連のことを書いても反響は大きくないので、好き嫌いはともかく、あらためて日本における韓流への関心の高さを感じた。
 今年1月5日、朝鮮日報は「韓流ブーム、映画だけが不振のワケ」という記事を掲載した。昨年の韓国のコンテンツ輸出額を見ると、音楽の1億9610万ドル、放送部門の2億2240ドルに比べて、映画は1582 万ドルに留まり、ピーク時である2005年の5分の1程度に落ち込んでいる。要は、韓国映画は韓国ドラマやK-POPほど海外市場で金を稼げずにいるという指摘であるが、その主な理由として、日本で売れないことが挙げられている。実際、韓国ドラマやK-POPと比べて、韓国映画が日本で話題になることは少ないように思う。
 韓流の生殺を昔も今も日本が握っていることは間違いない。コンテンツ輸出を推進する韓国の政府やメディアが「世界に広がる韓流」と喧伝しても、収益は世界最大の韓流市場である日本頼みである。例えばK-POPは、実に海外での売り上げの80.8%が日本市場においてであるし(産経新聞2012年5月13日「本国薄利・韓流ブームに疑問」)、韓国ドラマにしても、日本での放送本数の多さに加え、一部の日本のバイヤーが値段を釣り上げたと言われる。つまり韓流は日本市場への一極集中依存体質を持ち、そのことを韓国側が熟知しているからこそ、彼らは徹底して内容を日本市場に合わせてくる。日本語で歌うのもそうだし、日本人視聴者を意識したドラマが一部で作られるのもそうだ。あたかも一般消費財を輸出先の現地市場に適応化するようなものだろう。
 そんな中、なぜ韓国映画は日本で稼げないのだろうか。理由の1つは、日本のメディアの支援がないことだろう。2000年頃まで日本で見向きもされなかった韓国の大衆文化がこの10年で広がりを見せたのは、今さら説明するまでもないが、日本のメディアが飛びついたからである。国内のドラマ再利用が進まず、多チャンネル化の中で深刻なコンテンツ不足を迎えつつあったテレビにとって、一見日本ドラマに似ていて、しかも安くて使い勝手が良い韓国ドラマは救いの神だった。アーティストの育成に時間とカネをかけられない音楽業界にとってはK-POPが金鉱のように見えただろう。韓国ドラマやK-POPは日本のメディアを巻き込んだマス・マーケティングで市場を拡大してきたわけだが、韓国映画にはそのような後ろ盾がなかった。行き過ぎた韓流推しが非難された日本のテレビ局も安定した視聴者獲得や著作権収入という実利があるから韓国ドラマやK-POPを推しまくるわけで、韓国映画にはそのような旨みは感じられない。
 その他の理由として考えられるのは、韓国映画の多くが日本人観客を念頭に置いて製作されているわけではなく、日本人の一般的な韓流イメージとも合致しないのではないかという点である。
 個人的な話になるが、僕は1980年代後半~90年代初頭の韓国大衆文化が好きで、当時はキム・ワンソンのソウルランド・コンサートにも行ったし、今でも彼女の初期のアルバムはLPやカセットを所有している。映画もぺ・チャンホ監督ら巨匠の名作からB級作品まで結構見ていた。場末感漂う映画館はもちろん、VHSを求めて中古ビデオ市場へも足を運んだりしていた。
 ところが、この10年間騒がれ続けた韓国ドラマやK-POPはあまり面白いと思えなかった。なぜなのかは自明で、韓国の臭いがするものが少ないからである。韓流と騒ぎ出す前の韓国の大衆文化は、映画にせよ歌謡曲にせよ、日本で売れそうな要素はあまり見当たらず、現にほとんど話題にならなかったが、すごく韓国土着の臭いがした。私感ではあるが、外国の大衆文化に接する楽しみはそこに尽きるわけで、異文化市場での受容やグローバル展開のためのトレードオフの結果としてそういった部分が捨てられるとすれば、非常につまらない。先の朝鮮日報の記事には「K-POPの場合は海外進出を念頭に置いて数年にわたり緻密な準備を重ねてきたが、映画界にはそのような動きはなかった」とあるが、かつての韓国大衆文化は海外を意識していないからこそ面白かったのである。
 韓流コンテンツが海外(というよりも厳密には日本。しつこいようだが)でセールスを上げるにはどうするかを念頭に置いて製作されることを日本のコンテンツ振興関連省庁やメディアは礼賛するが、日本のコンテンツがこれまで欧米で、たとえ売れなくともまかりなりにも高い評価を得てきたのは、日本人自身は気づかないかもしれないが、どこかに日本っぽさがあり、それが面白がられたからではないだろうか。逆に、徹底したアメリカ市場向け作品を投入した音楽アーティストの場合、多くが失敗に終わっている。
 大衆文化は多かれ少なかれ商品性はあると思うし、セールスが非常に重要なことは理解しているが、あまりにも「売らんがため」だと、作り手の意思が感じられないし、興ざめである。良いものを作って結果として売れるのは素晴らしいことだと思うが、こういうのが売れるだろうっていう完成形から逆算して作られているようなコンテンツは予定調和だし、魅力がない。別に韓流だけじゃなくて、日本にもその手のものは多い。
 翻って韓国映画を見ると、実は今でも韓国の臭いがする作品は多い。それが何かと言うと、近年だとイ・チャンドン監督の諸作品やヤン・イクチュン監督・脚本・主演の『息もできない』あたりにはよく表れていると思うが、韓国社会が本質的に持つ重苦しさやイナタイ感じなのである。でも、それ故に韓流に「かっこよさ」「美しさ」「明るさ」といった日本のメディアが植えつけた韓流イメージを求めるファンに敬遠されるのだとしたら、残念な話である。余談だが、PSYの『江南スタイル』もあの垢抜けなさ具合は非常に韓国っぽいと思うのだが、日本の韓流ファンには見向きもされなかった。あれも、韓流に求めるものと乗馬ダンスが相容れなかったからかもしれない。
 また、韓国映画が日本で受けない理由について、長年映画産業にいる大学時代の後輩からも興味深い話を聞いた。彼女によると、韓国映画は映画ファンからはクオリティの高さが評価されているものの、映画に詳しくない人からは、韓流でドラマなどと一括りにされ、敬遠されることがあると言う。以前のエントリーで、韓流ほど日本で好き嫌いが分かれるコンテンツ群はないと記したが、その根底にあるのは韓流ファン・アンチ韓流の両者がそれぞれ持つ、非常にステレオタイプ化されたイメージであり、韓国映画はその割を食っているように思えるのである。

プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
Twitter:@obagoro

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