地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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21:51:44
 前回のエントリーから時間が経ってしまったが、年末年始をはさんで多忙だったということでご容赦頂きたい。さて、以前に書いた拙文「紅白からK-POPが消えた」には多くのご意見を頂いた。通常、クール・ジャパンなど日本のコンテンツ関連のことを書いても反響は大きくないので、好き嫌いはともかく、あらためて日本における韓流への関心の高さを感じた。
 今年1月5日、朝鮮日報は「韓流ブーム、映画だけが不振のワケ」という記事を掲載した。昨年の韓国のコンテンツ輸出額を見ると、音楽の1億9610万ドル、放送部門の2億2240ドルに比べて、映画は1582 万ドルに留まり、ピーク時である2005年の5分の1程度に落ち込んでいる。要は、韓国映画は韓国ドラマやK-POPほど海外市場で金を稼げずにいるという指摘であるが、その主な理由として、日本で売れないことが挙げられている。実際、韓国ドラマやK-POPと比べて、韓国映画が日本で話題になることは少ないように思う。
 韓流の生殺を昔も今も日本が握っていることは間違いない。コンテンツ輸出を推進する韓国の政府やメディアが「世界に広がる韓流」と喧伝しても、収益は世界最大の韓流市場である日本頼みである。例えばK-POPは、実に海外での売り上げの80.8%が日本市場においてであるし(産経新聞2012年5月13日「本国薄利・韓流ブームに疑問」)、韓国ドラマにしても、日本での放送本数の多さに加え、一部の日本のバイヤーが値段を釣り上げたと言われる。つまり韓流は日本市場への一極集中依存体質を持ち、そのことを韓国側が熟知しているからこそ、彼らは徹底して内容を日本市場に合わせてくる。日本語で歌うのもそうだし、日本人視聴者を意識したドラマが一部で作られるのもそうだ。あたかも一般消費財を輸出先の現地市場に適応化するようなものだろう。
 そんな中、なぜ韓国映画は日本で稼げないのだろうか。理由の1つは、日本のメディアの支援がないことだろう。2000年頃まで日本で見向きもされなかった韓国の大衆文化がこの10年で広がりを見せたのは、今さら説明するまでもないが、日本のメディアが飛びついたからである。国内のドラマ再利用が進まず、多チャンネル化の中で深刻なコンテンツ不足を迎えつつあったテレビにとって、一見日本ドラマに似ていて、しかも安くて使い勝手が良い韓国ドラマは救いの神だった。アーティストの育成に時間とカネをかけられない音楽業界にとってはK-POPが金鉱のように見えただろう。韓国ドラマやK-POPは日本のメディアを巻き込んだマス・マーケティングで市場を拡大してきたわけだが、韓国映画にはそのような後ろ盾がなかった。行き過ぎた韓流推しが非難された日本のテレビ局も安定した視聴者獲得や著作権収入という実利があるから韓国ドラマやK-POPを推しまくるわけで、韓国映画にはそのような旨みは感じられない。
 その他の理由として考えられるのは、韓国映画の多くが日本人観客を念頭に置いて製作されているわけではなく、日本人の一般的な韓流イメージとも合致しないのではないかという点である。
 個人的な話になるが、僕は1980年代後半~90年代初頭の韓国大衆文化が好きで、当時はキム・ワンソンのソウルランド・コンサートにも行ったし、今でも彼女の初期のアルバムはLPやカセットを所有している。映画もぺ・チャンホ監督ら巨匠の名作からB級作品まで結構見ていた。場末感漂う映画館はもちろん、VHSを求めて中古ビデオ市場へも足を運んだりしていた。
 ところが、この10年間騒がれ続けた韓国ドラマやK-POPはあまり面白いと思えなかった。なぜなのかは自明で、韓国の臭いがするものが少ないからである。韓流と騒ぎ出す前の韓国の大衆文化は、映画にせよ歌謡曲にせよ、日本で売れそうな要素はあまり見当たらず、現にほとんど話題にならなかったが、すごく韓国土着の臭いがした。私感ではあるが、外国の大衆文化に接する楽しみはそこに尽きるわけで、異文化市場での受容やグローバル展開のためのトレードオフの結果としてそういった部分が捨てられるとすれば、非常につまらない。先の朝鮮日報の記事には「K-POPの場合は海外進出を念頭に置いて数年にわたり緻密な準備を重ねてきたが、映画界にはそのような動きはなかった」とあるが、かつての韓国大衆文化は海外を意識していないからこそ面白かったのである。
 韓流コンテンツが海外(というよりも厳密には日本。しつこいようだが)でセールスを上げるにはどうするかを念頭に置いて製作されることを日本のコンテンツ振興関連省庁やメディアは礼賛するが、日本のコンテンツがこれまで欧米で、たとえ売れなくともまかりなりにも高い評価を得てきたのは、日本人自身は気づかないかもしれないが、どこかに日本っぽさがあり、それが面白がられたからではないだろうか。逆に、徹底したアメリカ市場向け作品を投入した音楽アーティストの場合、多くが失敗に終わっている。
 大衆文化は多かれ少なかれ商品性はあると思うし、セールスが非常に重要なことは理解しているが、あまりにも「売らんがため」だと、作り手の意思が感じられないし、興ざめである。良いものを作って結果として売れるのは素晴らしいことだと思うが、こういうのが売れるだろうっていう完成形から逆算して作られているようなコンテンツは予定調和だし、魅力がない。別に韓流だけじゃなくて、日本にもその手のものは多い。
 翻って韓国映画を見ると、実は今でも韓国の臭いがする作品は多い。それが何かと言うと、近年だとイ・チャンドン監督の諸作品やヤン・イクチュン監督・脚本・主演の『息もできない』あたりにはよく表れていると思うが、韓国社会が本質的に持つ重苦しさやイナタイ感じなのである。でも、それ故に韓流に「かっこよさ」「美しさ」「明るさ」といった日本のメディアが植えつけた韓流イメージを求めるファンに敬遠されるのだとしたら、残念な話である。余談だが、PSYの『江南スタイル』もあの垢抜けなさ具合は非常に韓国っぽいと思うのだが、日本の韓流ファンには見向きもされなかった。あれも、韓流に求めるものと乗馬ダンスが相容れなかったからかもしれない。
 また、韓国映画が日本で受けない理由について、長年映画産業にいる大学時代の後輩からも興味深い話を聞いた。彼女によると、韓国映画は映画ファンからはクオリティの高さが評価されているものの、映画に詳しくない人からは、韓流でドラマなどと一括りにされ、敬遠されることがあると言う。以前のエントリーで、韓流ほど日本で好き嫌いが分かれるコンテンツ群はないと記したが、その根底にあるのは韓流ファン・アンチ韓流の両者がそれぞれ持つ、非常にステレオタイプ化されたイメージであり、韓国映画はその割を食っているように思えるのである。
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プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
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