地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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16:57:07
 今回のWBC、日本の準決勝での敗退結果を受け、本日午前8時55分から決勝を生放送する予定だったテレビ朝日は同日深夜の録画での放送に切り替えた。ドミニカ対プエルトリコの決勝戦では高視聴率は望めず、それよりは確実に数字が取れるレギュラー番組に戻したということだろうか。世界大会の、しかも数日前まで日本が熱戦を繰り広げた大会の決勝の生放送を取りやめることに批判はあるだろうが、視聴率を考えれば局側の判断はやむを得ないかなという気もする。
 この件で、今から7年ほど前にESPN(世界最大規模のスポーツチャンネル)のアジアでの番組戦略を調査していて、日本・台湾・シンガポールでそれぞれ担当者に聞いた話を思い出した(ちなみに各国のESPNは基本的に独自に番組編成をしている)。ESPNというチャンネルの性質上、どの国でも自国外で行われるスポーツ試合が多く放送されているのだが、日本や台湾では自国の代表チームや自国選手が出ているか否かで、視聴者の関心度がまるで違うという。台湾では当時ニューヨーク・ヤンキースに在籍していた台湾人投手・王健民の活躍が大きな話題となっていたが、人々はメジャーリーグでもヤンキースの、しかも王が先発する試合だけを熱心に視聴するのであり、それ以外の試合に関心を寄せる人は少なかった。日本でのメジャーリーグ中継の視聴のされ方を重ね合わせれば納得できる話である。要するに、日本人や台湾人の多くは自国代表チームや自国選手の国際舞台での活躍を見たいのであるが、実はそのような嗜好は北東アジアの視聴者に特有なものではないかと、ESPNアジア(シンガポールを含む東南アジア一帯をカバーする)の幹部は僕に話した。
 実際、シンガポールでは、視聴者は単純に世界最高峰のレベルの試合を見たがる傾向があり、例えばシンガポール人選手が1人も在籍しないイギリスのプレミア・リーグの試合は、シンガポール代表チームの国際試合よりも視聴率が高いという。もちろんシンガポールの場合、日本や台湾とはアスリートの数が違うし、どうしても自国選手が国際舞台に登場する機会自体が多くないという事情はあると思うが、スポーツ視聴者の嗜好の相違は、大雑把ではあるものの、なかなか面白い指摘だと思った。今回、日本の放送局がWBC決勝戦生中継を見送ったことは、案外多くの国の人には不思議に思えるのかもしれない。
 さて、今回のWBCでは前回日本と決勝戦で戦った韓国が1次ラウンドで敗退した。これを受けてネットには韓国代表を、そして韓国を揶揄するようなコメントが溢れた。そのようなコメントは毎度のことなのだが、あらためて日本のスポーツファンが韓国のスポーツファンに似てきているんじゃないかと思った。
 1980年代末に僕が韓国に留学していた頃、同じ家に下宿していた韓国人学生たちは休みの日になるとテレビの前に集まり、熱心にスポーツ中継を見ていた。特に盛り上がるのは韓国代表や韓国人選手の国際試合、しかも相手が日本代表や日本人選手との試合だった。日本が優勢だったり勝ったりすると、日本の選手を罵り、逆に韓国が勝つと得意満面で「韓国に負けて悔しくないか」と聞いてくる。こちらが平然として、「試合に負けたのは残念だが、相手がどこの国かは関係ない」と言うと、釈然としない表情を浮かべる。韓国に日本が負けたことを悔しがることを期待しているのである。スポーツ試合に限らず、どんな分野であれ、日本に勝ちたいという空気が80年代末の韓国には満ちていた。一方、当時の日本はどうだったかと言うと、韓国を特別意識する人はあまりいなかったように思うし、多くの人にとってスポーツで韓国に負けることは試合に負けること以上の意味はなかった。日本と韓国では相手国に対する感情や関心にかなりの温度差があり、それは日韓のスポーツ試合観戦での態度にも如実に表れていた。
 ところが今日では、日本人にも韓国戦だけは冷静になれない人が増えているように感じるのである。実際、今回のWBCで韓国が早々と敗退した時、快哉を叫びながらも、興味が半減した人は少なくなかったのではないだろうか。彼らにとっては、決勝で日本が韓国を下して優勝するすことが最高の展開なわけだが、それが潰えてしまったのだから。かつてアンチ巨人が巨人なしではプロ野球で盛り上がれなかったのと同様、アンチ韓国も韓国なしではスポーツ国際大会で盛り上がれないのである。
 このように国際試合で韓国を特に意識するようになった背景にはいくつかの要因があると思う。例えば、競技にもよるが、野球のように日韓のレベルが拮抗してきたことは一因としてあるだろう。また、昨今の領土問題や歴史認識の相違に端を発する嫌韓感情の高まりも関連していると思われる。スポーツの国際試合はナショナリズムを引き起こしやすいものだし、それゆえ、国威高揚のために利用されることもある。ただし、行き過ぎたナショナリズムの裏返しとして、相手国に対する嫌悪感と結びついてしまうのは、健全とは思えないが、現実に日韓では起きやすい。
 こういった傾向に拍車をかけているのがマスメディアだろう。ここ10年くらいの間に顕著になったのだが、日韓戦の話題になると判で押したように「宿命のライバル」「因縁のライバル」といった枕詞で人々の関心を喚起しようとする。ライバルがいた方がスポーツは盛り上がるということだろうが、こういった紋切り型の報道にうんざりして反感を覚える人は少なくないと思う。しかしその一方で、少なからず日本人の間に「国際試合の中でも日韓戦は特別」という意識を植え付けたことも事実だろう。先日、キム・ヨナが韓国メディアに向かって浅田真央との比較をやめるよう話したそうだが(「キム・ヨナ、真央との比較いい加減やめて…韓国メディアに注文」)、伝統的に韓国メディアは言うに及ばず、今日では日本のメディアも日韓対決だと興奮しすぎなのである。
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16:27:25
 テレビ批判が世に広まり、「テレビ離れ」などという言葉も定着した感があるが、先日、大阪の某テレビ局でちょっとお話しさせて頂き、その後にテレビビジネスに関して意見交換する場に恵まれた。テレビ放送産業の実情に関する興味深い話が多かったが、その中のいくつか記しておく。
 商業放送を行う局からすれば、全体的な視聴率の低下や視聴時間の減少がひいては広告収入の低下につながることに危惧を抱くのは当然だろう。確かにテレビ広告費を中期スパンで見ると、2012年は5年前と比べて12%ほど落ち込んではいるのだが、それでも、世で「テレビ離れ」が喧伝されるほどには広告収入が激減しているというわけでもないような印象を受ける。2012年のテレビ広告費は東日本大震災の反動増があるにせよ前年比103%で、スポット広告費は3年連続で増加している。
 実際、広告主である企業や団体などは、まだまだ広告媒体としてのテレビを高く評価しているとも言われる。考えてみれば、日本全国数百万~数千万の世帯に向けて同時に映像と音声で印象的なメッセージを届けることができ(だからこそ、テレビ局も広告主もリアルタイム視聴にこだわるわけだが)、しかも消費者1人当たりへ届くコストは比較的廉価であるという、広告媒体としてのテレビの力はその他のメディアでは代替できないものである。例えば雑誌広告は特定の属性を持つ消費者にリーチしやすいことが強みだが、これはネット広告と競合する。一方、少なくとも現状ではテレビ広告はこのような代替媒体が不在なのである。その意味では、視聴者にとってというよりは、広告主にとってのテレビの力は健在と考えられるし、広告費をメディアごとに配分する際に依然としてテレビを重要視する企業は多そうだ。
 今日のテレビが陥っているとされる「負のスパイラル」(広告収入↓⇒制作費↓⇒番組の質↓⇒視聴率↓⇒広告収入↓…)はモデルとしてはやや単純化されすぎていて、視聴時間減少と広告出稿量の相関に関してはもう少し慎重に考察する必要があるように思う。テレビ広告の出稿量は視聴率以外の要素、例えば景気などに左右される部分も大きい。広く口々に上がることが多い視聴率や番組の質とは異なり、広告媒体としてのテレビの力は多くの場合、テレビ局や広告代理店、広告主の関心事に過ぎず、視聴者には直接は関係ない部分なので、テレビが論じられる際に焦点になることは多くないが、実は現行の商業放送ビジネスを考える上で非常に重要な点である。
 しかし、テレビが独特な広告媒体としての力を持っているといっても、HUT(全世帯のうちテレビ放送を視聴している世帯の割合)の低下傾向には局も神経質にならざるをえない。HUTの推移を見ると、多少の上下はあるものの全体的に下降の一途を辿っているのがわかる。この点に関してテレビ局が危惧するのは、テレビなしで生活できる人が増加することである。「番組がつまらない」と言われるならば、まだ内容を変えることで対処し、視聴者を呼び戻すこともできるかもしれないが、「テレビを見ない」と言われるとさすがに対応に窮する。テレビに限らずメディア利用は日常生活との関わりが深いものであり、習慣性が高い。子供の頃に家にテレビがないとか、親がほとんど見ないなどの理由で、テレビ視聴が日常化していないと、その後の人生において「まあ、テレビはなくてもいいか」になりそうだ。ラジオはそのような状況に陥っているように見受けられる。実際に聴けばなかなか面白い番組は多いのだが、今やラジオがない家庭は少なくないだろうし、情報収集あるいは娯楽のための選択肢からラジオが抜けている人は多い。
 テレビ局にとって重要なのは、今日増えていると言われるテレビに興味がない若年層にテレビの面白さをどう認知させるかという点だろう。家庭でテレビを見ないならば、繁華街のマルチスクリーンや電車内のモニターなどを使って、家庭外でテレビ放送とのコンタクトポイントを作るしかない。このように考えると、街頭テレビが想起される。60年前のテレビ放送開始時、人々が集まる場所に設置された街頭テレビは、テレビという未知のメディアに対する人々の関心を高めるのに大きな役割を果たしたが、それと同じようにテレビを体験できる場を提供することが今後、必要になるのかもしれない。あと、無償でテレビ受信機を貸出すというのも大学生あたりには有効か。
 あと、以前のエントリー「今日的大学生のテレビの見方」でもちょっと書いたテレビ番組とtwitterとの連動だが、商業的価値が今一つよくわからない。もちろん視聴者にとって「他の人の感想が知れたり、自分の感想を伝えたりできる」のが楽しく、「他の人と見ているような気がして楽しい」のはわかるのだが、そのことがテレビ局や広告主にとってどういった利得があり、収益につながるのかがよくわからない。番組に対する視聴者の反応を知るということだとしたら、これまでも番組宛に送られてきていた手紙とかFAXとか掲示板への書き込みと大差ない(実際には、番組に寄せられたtweetの扱いも、以前に主流だったFAX紹介と似ている)。まあ、tweet数の増減などはデータ化しやすいのだろうけど、視聴率データがサンプルに問題があると言われながらも一応は客観的指標としてビジネスに用いられているのに比べ、利用者の属性が偏り、しかも利用者によってつぶやく頻度に差があるtwitterから得られるデータって、テレビビジネスにおいてそんなに価値が高いものなのだろうか。
 1つ考えられるのは、twitterは伝播力がありそうだから、話題喚起してテレビ視聴に誘導する要因になりうる点である。ただ、そういったプロモーション・ツールとしての役割は理解できるが、深夜番組あたりだと地方では時差放送が多いことがネックになる。実例を挙げると、恐らく今日最もtweetが多そうな『アメトーーク!』は関西地区では1時間15分遅れのOAである。その間、twitterでネタバレするし、でも見たいと思ってもやってないしという欲求不満が生じる。もし別日のOAならばtwitterの効用はより小さいものになる。うまくtwitterを取り込むことがテレビの今日的課題の1つのように言われるが、なかなか課題は多そうだ。そうこうしてるうちにtwitterも今ほど使われなくなったりして…。




プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
Twitter:@obagoro

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