地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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11:24:10
 ずっと注目していたインド版『巨人の星』(昨年12月23日放送開始)だが、昨日の朝日新聞によると、既に現地での放映を終了したようだ。昭和40年代中盤に放送されたオリジナル版は3年半にわたる放送だけに全182話と話数が多く、長編大作のような趣きがあったが、インド版は全26話で、オリジナルの大リーグボールにあたる魔球が完成した所で終了である。「えっ、そこから紆余曲折があるんじゃないの!?」と突っ込みたくなるところだ。今年2月の産経新聞や5月の日経新聞では、来年以降続編シリーズを作る話が進んでいるようだったが、昨日の朝日新聞はそのことには触れておらず、日本での放送などマルチユースの予定だけを伝えている。
 果たしてこの作品はインドで成功したと言えるのだろうか。先の朝日新聞によれば、視聴率は0.2%どまりだったが、チャンネル数が700を超すインドで「大人も楽しめる異色のアニメ」などと話題を呼んだそうである。実際のところ、市場規模や視聴習慣の異なるインドでの視聴率を日本のそれと単純に比べられないとは思う。ただ、0.2%という具体的な数字に関して、かつて産経は「(インドで)先行する日本アニメ『ドラえもん』と『クレヨンしんちゃん』に視聴率で肩を並べ、好調な滑り出し」と伝え、日経は番組製作者の「かなり健闘している」という言葉を紹介していたのに比べて、朝日の記事からは「あまり振るわなかった」といった感じが伝わってくる。この0.2%というのは平均視聴率だと思うが、シリーズを通して右肩上がりだったのか、あるいは逆に下がったのか、それによっても評価は異なってくると思う(2月の時点でも6月の時点でも0.2%ってことは、ほぼ増減なしのフラットだったってことだろうか?)。
 また、番組の質的評価に関しても、産経が「アニメではなく、ドラマだ」、「教育的な視点も盛り込まれている」と作品を高く評価する声が寄せられていると、現地の絶賛ぶりを伝えていたのに比べて、昨日の朝日は「大人も楽しめる異色のアニメなどと話題を呼んだ」と控えめなトーンである。こういったトーンの違いが生じるのは、産経と朝日の普段の論調の違いとか、この作品へのコミットメントの違いとか、色々原因があるのだろうけど、並べてみると、最初から中盤までの作品への期待とか盛り上がりが最後までは維持されず、終わってしまったようにも見受けられる。
 この作品に限らず、コンテンツの海外リメイクに関しては、成功すれば、ローカライゼーションが上手く行って現地の人たちから共感を得られたと評され、失敗すれば、その逆のことを言われることが多い。確かにそういう面もないわけではないが、後付け評価に過ぎないとも思う。実際、入念にローカライゼーションをしてもコケる作品もあれば、原産国そのままの内容でもヒットするコンテンツもある。インド版『巨人の星』は設定を日本の野球からインドのクリケットに変えるなど、徹底してインドの視聴者に合わせたローカライゼーションが話題を呼んだ作品でもある。このように文化的障害を取り除いた点がインド市場でどう機能したのかが知りたいところだ。
 ただ、僕がインド版『巨人の星』に注目するのは、以上のような作品内容とインドでの受容に関する関心からだけではない。これまで随分喧伝されてきたが、インド版『巨人の星』は、日本のコンテンツの海外展開を推進する経産省が「クールジャパン戦略」のモデル事業に位置付けており、安倍首相も去る5月17日の「成長戦略第2弾スピーチ」で直々にこの作品に言及したように、国家プロジェクトと呼んでもいいような作品なのである。徹底してインド現地化(=日本色排除)を進めた作品がどのようにクールジャパンに寄与するのか。それは、この作品内に日清やスズキ、全日空などのブランドが登場し、いわば日本ブランドのショーウィンドウ的役割を務めているからである。この点に関しては、以前にブログ「インド版『巨人の星』で考えた」でやや批判的なことを書いたことがある。子供や青少年が見るアニメ作品に堂々と実在のブランドが登場することに違和感を覚えたからである。
 ただ、映像コンテンツにおけるブランド露出のことを色々と調べていて、思う所がある。インドは「ボリウッド」と呼ばれる、世界一の製作本数を誇る映画大国だけあって、実は映画におけるブランド露出は盛んに行われており、プロダクトプレイスメント市場は毎年10%以上の成長を記録している。これ以外に、金銭のやり取りがないバーター契約もあるだろうから、実際には相当のブランド露出が行われていると考えられ、人々は作品に実在ブランドが出てくることに慣れているのかもしれない。だとすれば、日本ブランドは「オリジナルは日本だが設定をインドにした子供・青少年向けアニメ」でわざわざ露出させなくとも、ボリウッド映画で露出させた方がリーチがはるかに大きく、費用対効果も大きいのではないかと思える。実際、アメリカのブランドなんかは、これも成長著しい中国のプロダクトプレイスメント市場を見込んで、中国映画にブランド露出を展開中だし、逆に最近では中国ブランドのハリウッド映画進出も見られる。このようにコンテンツの国籍とブランドの国籍は全然一致していないのである(作品の舞台とブランドの整合性はもちろん必要だが)。インド版『巨人の星』はクールジャパンの一大プロジェクトとしてコンテンツとブランドのマッチングを謳うが、果たして抱き合わせの必然性があったのかという気もする。
 もう1点気になるのは、インド版『巨人の星』での日本ブランド露出の効果に関する測定、例えば視聴者のブランドに対する認知が上がったとか、イメージが向上したとかは行われているのかという点だ。日本ブランドの露出がこの作品で重要な位置を占めていたのならば、作品の評価はこういった面からもなされてしかるべきだと思う。まさか、製作サイドもスポンサーも作品にブランドを露出させればそれでOKだとは思っていないだろが、測定結果を踏まえてシーズン2以降(もし作られるなら)では、ブランド露出の方法を修正したりする必要があるのは当然だろう。

 
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11:02:30
 アメリカの家電量販店へ行くと最近の主力商品はスマートテレビである。スマートテレビが注目される理由は簡単で、映像コンテンツサービスの総合端末として利便性が高いである。スイッチを入れれば、ホーム画面には様々なアプリのアイコンが並び、テレビ放送のみならず、インターネットはもちろん動画サイトやオンディマンド配信サービスをはじめゲーム、SNSなど様々なコンテンツを提供するサービスにアクセスできる。ちょっと複雑な言い方になるが「テレビ画面というのは最早テレビ放送を通してテレビ番組を見るためだけのものじゃないんだな」と実感できる。
 アメリカだけじゃなくて、恐らく世界的にテレビ利用はそのような方向へ進んでいると思われるのだが、そのような潮流に逆行しているように見えるのが日本である。でも、日本でスマートTVの普及は、アメリカのNetflixやHuluのように魅了的な動画ストリーミング配信サービスがないので難しいかなとも思っていた。家に居ながらにして映画見放題でレンタルビデオ業をつぶしたと言われるNetflixに比類するサービスはないし、Huluを見ても、ネットワークのドラマやショーが豊富で見逃し視聴にも対応するアメリカ版に比べ、日本版はテレビ番組コンテンツのラインアップが圧倒的に弱い。映像コンテンツのネット配信は日米で(技術的な面ではなくコンテンツの充実度という意味で)もう何周も差がついてしまっているのである。
 そのような状況下で、映像コンテンツ産業の中心であるテレビ放送産業がスマートTVにどのように対応するのかは興味があった。実は、スマートTVはテレビ放送産業にとっても追い風になると思っていたからだ。うまく動画サイトやSNSと番組を連動させれば、スマートTVという同じ端末で両者を楽しむことができるし、結局はテレビ視聴が楽しくなるんじゃないかと思えたからだ。
 ところが、ちょっとこれは酷いと思えるニュースが入ってきた。7月7日の朝日新聞デジタルによれば、パナソニックの新型スマートテレビ「スマートビエラ」のCM放送を民放キー局が拒否した。テレビ起動時に、放送中の番組の右側と下に、放送とは関係ないサイトや、ネット動画にアクセスできる画面が表示されることを問題視してのことらしい。でも、スマートテレビのインターフェースってそういうものだと思うんだが…。関係業界で定めた技術ルールに違反するとか、そのことでユーザーが放送番組とネット情報を混同する恐れがあるとして表示方法の変更を求めているというが、テレビとネット間に情報メディアとしての補完性があることは明らかだし、日本のユーザーの多くは放送番組とネット情報をうまく使いわけるくらいの力は持っていると思われる。贔屓目に解釈しても取り越し苦労、実際には「テレビ画面をテレビ放送以外に使われたくない」というキー局側の本心の現れのようにも思えるのだが、もしそうだとしたら、こういった偏狭さはなんとかならないのだろうか。また、民放キー局が拒否したということは、各局で「これは放送中止にしよう」って談合でもしたのだろうか。こういう所にも横並び体質が現れているようだ。
 全ては業界の理屈だけで動いていて、視聴者は置き去り。遅々として進まない番組のネット配信も含めて、こう思えることは結構多い。個人的には業界のビジネス論理をある程度は理解してはいるつもりだが、世の中の多くの視聴者にとっては理解不能で、ただただ不便と思うだけだろう。さすがに民放各局も最近は公共性って言わなくなったと思ったが、上記の「放送番組とネット情報を混同されては困る」発言は、8年前にネット企業に買収されそうになった時に詭弁として公共性がしきりに持ち出されていたことを思い出した。「自分たちは特別」っていう意識はあまり変わってないようにも見受けられる。
 その一方で、パナソニックと言えば超大手広告主なわけで、民放側も並々ならぬ決意でCM拒否したんだろうとは思う。パナソニックの広報は「放送局側と協議して放送と通信の新たなルール作りを進めているところなので、現時点ではコメントを控えたい」と言っているが、一体どういう決着を迎えるんだろう。日本のスマートテレビの今後の道筋をつけるうえでも重要だと思われる。

プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
Twitter:@obagoro

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