地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
2017/03«│ 2017/04| 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 »2017/05
文字サイズ文字サイズ:大文字サイズ:中文字サイズ:小
--:--:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category:スポンサー広告│ コメント:--│ トラックバック :--
16:27:25
 テレビ批判が世に広まり、「テレビ離れ」などという言葉も定着した感があるが、先日、大阪の某テレビ局でちょっとお話しさせて頂き、その後にテレビビジネスに関して意見交換する場に恵まれた。テレビ放送産業の実情に関する興味深い話が多かったが、その中のいくつか記しておく。
 商業放送を行う局からすれば、全体的な視聴率の低下や視聴時間の減少がひいては広告収入の低下につながることに危惧を抱くのは当然だろう。確かにテレビ広告費を中期スパンで見ると、2012年は5年前と比べて12%ほど落ち込んではいるのだが、それでも、世で「テレビ離れ」が喧伝されるほどには広告収入が激減しているというわけでもないような印象を受ける。2012年のテレビ広告費は東日本大震災の反動増があるにせよ前年比103%で、スポット広告費は3年連続で増加している。
 実際、広告主である企業や団体などは、まだまだ広告媒体としてのテレビを高く評価しているとも言われる。考えてみれば、日本全国数百万~数千万の世帯に向けて同時に映像と音声で印象的なメッセージを届けることができ(だからこそ、テレビ局も広告主もリアルタイム視聴にこだわるわけだが)、しかも消費者1人当たりへ届くコストは比較的廉価であるという、広告媒体としてのテレビの力はその他のメディアでは代替できないものである。例えば雑誌広告は特定の属性を持つ消費者にリーチしやすいことが強みだが、これはネット広告と競合する。一方、少なくとも現状ではテレビ広告はこのような代替媒体が不在なのである。その意味では、視聴者にとってというよりは、広告主にとってのテレビの力は健在と考えられるし、広告費をメディアごとに配分する際に依然としてテレビを重要視する企業は多そうだ。
 今日のテレビが陥っているとされる「負のスパイラル」(広告収入↓⇒制作費↓⇒番組の質↓⇒視聴率↓⇒広告収入↓…)はモデルとしてはやや単純化されすぎていて、視聴時間減少と広告出稿量の相関に関してはもう少し慎重に考察する必要があるように思う。テレビ広告の出稿量は視聴率以外の要素、例えば景気などに左右される部分も大きい。広く口々に上がることが多い視聴率や番組の質とは異なり、広告媒体としてのテレビの力は多くの場合、テレビ局や広告代理店、広告主の関心事に過ぎず、視聴者には直接は関係ない部分なので、テレビが論じられる際に焦点になることは多くないが、実は現行の商業放送ビジネスを考える上で非常に重要な点である。
 しかし、テレビが独特な広告媒体としての力を持っているといっても、HUT(全世帯のうちテレビ放送を視聴している世帯の割合)の低下傾向には局も神経質にならざるをえない。HUTの推移を見ると、多少の上下はあるものの全体的に下降の一途を辿っているのがわかる。この点に関してテレビ局が危惧するのは、テレビなしで生活できる人が増加することである。「番組がつまらない」と言われるならば、まだ内容を変えることで対処し、視聴者を呼び戻すこともできるかもしれないが、「テレビを見ない」と言われるとさすがに対応に窮する。テレビに限らずメディア利用は日常生活との関わりが深いものであり、習慣性が高い。子供の頃に家にテレビがないとか、親がほとんど見ないなどの理由で、テレビ視聴が日常化していないと、その後の人生において「まあ、テレビはなくてもいいか」になりそうだ。ラジオはそのような状況に陥っているように見受けられる。実際に聴けばなかなか面白い番組は多いのだが、今やラジオがない家庭は少なくないだろうし、情報収集あるいは娯楽のための選択肢からラジオが抜けている人は多い。
 テレビ局にとって重要なのは、今日増えていると言われるテレビに興味がない若年層にテレビの面白さをどう認知させるかという点だろう。家庭でテレビを見ないならば、繁華街のマルチスクリーンや電車内のモニターなどを使って、家庭外でテレビ放送とのコンタクトポイントを作るしかない。このように考えると、街頭テレビが想起される。60年前のテレビ放送開始時、人々が集まる場所に設置された街頭テレビは、テレビという未知のメディアに対する人々の関心を高めるのに大きな役割を果たしたが、それと同じようにテレビを体験できる場を提供することが今後、必要になるのかもしれない。あと、無償でテレビ受信機を貸出すというのも大学生あたりには有効か。
 あと、以前のエントリー「今日的大学生のテレビの見方」でもちょっと書いたテレビ番組とtwitterとの連動だが、商業的価値が今一つよくわからない。もちろん視聴者にとって「他の人の感想が知れたり、自分の感想を伝えたりできる」のが楽しく、「他の人と見ているような気がして楽しい」のはわかるのだが、そのことがテレビ局や広告主にとってどういった利得があり、収益につながるのかがよくわからない。番組に対する視聴者の反応を知るということだとしたら、これまでも番組宛に送られてきていた手紙とかFAXとか掲示板への書き込みと大差ない(実際には、番組に寄せられたtweetの扱いも、以前に主流だったFAX紹介と似ている)。まあ、tweet数の増減などはデータ化しやすいのだろうけど、視聴率データがサンプルに問題があると言われながらも一応は客観的指標としてビジネスに用いられているのに比べ、利用者の属性が偏り、しかも利用者によってつぶやく頻度に差があるtwitterから得られるデータって、テレビビジネスにおいてそんなに価値が高いものなのだろうか。
 1つ考えられるのは、twitterは伝播力がありそうだから、話題喚起してテレビ視聴に誘導する要因になりうる点である。ただ、そういったプロモーション・ツールとしての役割は理解できるが、深夜番組あたりだと地方では時差放送が多いことがネックになる。実例を挙げると、恐らく今日最もtweetが多そうな『アメトーーク!』は関西地区では1時間15分遅れのOAである。その間、twitterでネタバレするし、でも見たいと思ってもやってないしという欲求不満が生じる。もし別日のOAならばtwitterの効用はより小さいものになる。うまくtwitterを取り込むことがテレビの今日的課題の1つのように言われるが、なかなか課題は多そうだ。そうこうしてるうちにtwitterも今ほど使われなくなったりして…。



スポンサーサイト


コメント
No title
そもそも地方に住んでいると、
面白いとかつまらないとか以前に好きな番組を選ぶ権利がないですから。
海外に番組を売り込むのは必死でも、
国内では一部エリアでしか放送しないという現状はおかしいと思うんですけどね。

と、いうことでテレビやラジオというのは大都市ローカルメディアなのだと認識して、
視聴することをやめました。
今はwebテレビ/ラジオばっかりですね。あれは地方でも普通に視聴できますから。
地方もリアルタイムで生放送が見られるし、twitterやメールで参加もできる。
本来当たり前のことを当たり前にできているのがイイんです。

テレビ離れした者│URL│2013/03/13(Wed)12:52:24│ 編集
テレビ離れした者さんへ
確かにテレビって能動的に接することができるので一見楽ですが、大したものが与えられないとなると、能動的になれない分、余計に欲求不満になりますね。

大場吾郎│URL│2013/03/13(Wed)13:28:27│ 編集
コメントの投稿










トラックバック
トラックバックURL
→http://obagoro.blog.fc2.com/tb.php/28-7139bae1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
Twitter:@obagoro

obagoro's books
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。