地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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13:17:43
 元・ももいろクローバーZの早見あかりが自分とグループの関係について語っている(「脱退から4年、早見あかりが語るももクロとの関係性」)。彼女は「卒業」ではなく、「脱退」という言葉に固執したと伝えられるが、女性アイドルグループからの離脱を「卒業」と呼ぶことが定着して久しい中、「脱退」という言葉が使われていることが新鮮に思えた。
 辞書によれば「卒業」は、
    1.学校の全教科または学科の課程を修了すること、
    2.ある状態・段階を通過すること、
    3.1つの事業を完了すること、とある。
アイドルグループから抜けるという行為は学校における修了とは違うし、また、必ずしも何かを達成したわけでなく、中途半端な状態で抜けることもあり、厳密にはこれら3つの意味のどれにも該当しないこともある。一方、「脱退」は「所属していた団体・会などから抜け出ること」である。どういう経緯があるにせよ、一般にグループから抜け出るという行為は、「脱退」という言葉で表せば事足りると思うが、女性アイドルグループの場合はなぜ「卒業」と呼ぶのか、以前から気になっていたので少し考えてみた。
 女性アイドルグループからメンバーが脱退することを「卒業」と呼んだのは何が始まりだったかはハッキリとわからないが、おニャン子クラブではないかと推測する。おニャン子クラブが世に出た1985年から1年ほど、彼女たちと同世代の僕はフジテレビ『夕焼けニャンニャン』をリアルタイムでよく見ていたのだが、初期メンバーの河合その子や中島美春がグループを抜ける時に「おニャン子から卒業」と呼んでいたように記憶している。そもそも素人の女子高生を多く含んだおニャン子クラブは女子高生たちの放課後のクラブ活動のような雰囲気が最大の売りだったわけで、その意味では、そこからの脱退を「卒業」と比喩的に呼ぶことは、グループのコンセプトにも合っていたのだろう。特に中島美春の場合は、自身が高校卒業とともにグループを辞めた時にメインボーカルを務めたおニャン子のシングルが『じゃあね』という曲だったこともあり、「卒業」でも違和感なく受け止められたのかもしれない。
 おニャン子以降、大きなムーブメントになるような女性アイドルグループはなかなか出現しなかったが、20世紀の最後にモーニング娘が出てくる。モーニング娘は1997年の結成以降、メンバーの脱退・増員を繰り返し、現在に至っているが、初期にグループを抜けた数人に対しては「脱退」を使っていた。彼女たちを世に出したテレビ東京『ASAYAN』は毎週彼女たちの動きを詳細にリポートしていており、レコーディングの好不調とかメンバー間の諍いなどがドキュメントとして伝えられていたが、恐らく視聴者にとって最も衝撃が大きいニュースはメンバーの脱退で、誰かが急に辞めるかもしれないというドキドキ感が番組ではうまく仕掛けられていた。この場合、「脱退」という言葉の重さが演出的には効果がありそうだ。
 しかし、モーニング娘からの「脱退」は徐々に「卒業」という言葉に置き換えられていくようになる。モーニング娘というグループが大きくなるにつれ、そこからの離脱は、何が起こるかわからない波乱のドラマの一幕としてよりも、一緒に頑張ってきた仲間たちに送られて旅立っていく儀式のように捉えられるようになったことの表れとも考えられる。Wikipediaによれば、「(1999年の)福田から(2000年の)市井までは脱退と公式に発表されてきたが、負のイメージを連想させない前向きな意味合いとして卒業という言い方を(2001年の)中澤の離脱時から使用するようになった」とのことである。僕と同世代のプロデューサー・つんくの頭の中に「おニャン子クラブにおける卒業」がイメージとして存在していたのかは定かではないが、いずれにせよモーニング娘はある時期から、グループを離れることをイメージ戦略上、意図的に「卒業」と呼ぶようになり、何かしら問題を起こして辞めるか、辞めさせられるような場合を除いて、「脱退」という言葉は使わないようになったようだ。先のWikipediaには、「メンバー本人の都合または所属事務所との協議での了承を得た脱退(円満退社)は卒業、一方でメンバーの不祥事(スキャンダル)および何らかのトラブルから、所属事務所に損害または不利益を被らせた場合に責任をとる意味での脱退(解雇)は脱退という表現を使用していると解釈できる」とある。
 この解釈は一見明快で、モーニング娘以降出現した他の女性アイドルグループにも適用可能なようにも思われるが、実はそれほど単純でもない。2012年に男性タレントとの熱愛が発覚した責任を取ってAKB48を離れた増田有華の場合、本人はブログで「AKB48を辞退することになった」と玉虫色に記しているが、先ほどのモーニング娘の「卒業or脱退」の解釈に基づけば、スキャンダル絡みでAKB48に損害または不利益を被せた責任を取ったとも考えられるので、実質的には「脱退」とも考えられる。ところが、「増田有華」と「卒業」あるいは「脱退」というキーワードで検索してみると、卒業が60万7千件に対して脱退は15万2千件に過ぎない。彼女の最後のステージを伝えるORICONでは記事にこそ「脱退を発表した」とあるが、写真のキャプションは「AKB48を卒業する増田有華」とある。つまり、本人の意識やその実態はともかく、ファンやメディアの多くが彼女はAKBを「卒業した」と捉えていると考えられる。
 女性グループからのメンバーの離脱は今や、本当に余程のこと(例えば、反社会的行為を犯したとか、本人の意に反して強制解雇されたとか)が周知のこととならない限り、「辞めたいという本人の固い意思を尊重して」とか「所属事務所との協議の結果、両者納得して」と公表さえすれば、全て卒業扱いが可能な様相である。逆に考えれば、不祥事やトラブル絡みで事務所に迷惑をかけたわけでもなく、本人の願いで辞めたのに「脱退」という言葉を使う元・ももクロの早見あかりは奇特な存在に思えるし、そして敢えてそれを認めたももクロと所属事務所もある意味寛大だ。
 女性アイドルグループの場合、「脱退」が辞める本人のみならず、残されたグループのイメージにも負に作用しうると推測され、「卒業」という美麗字句を用いたいという心理はわからなくもないが、それでは男性アイドルグループはどうだろうか。元・SMAPの森且行や元・KAT-TUNの赤西仁はどちらも「脱退」が一般的である。彼らの場合、グループからの離脱が円満な形ではなかったというような話は耳にしたが、当事者ではないので真相はわからない。ただし、本人も残されたグループも事務所も、離脱に際してそこにあったかもしれない生々しい現実を「卒業」という巧みに飾った言葉でオブラートに包むようなことはしなかった事実は興味深い。
 言葉の用法が時代とともに変化するのは当然だし、「卒業」もその範疇に入るとも考えられるが、社会環境が変わったというような理由ではなく、あくまで作為的に変えられた点には注意する必要がある。特に「卒業」はイメージ重視のメディアの世界では重宝がられる。先日、テリー伊藤がコメンテーターを務めた情報番組『スッキリ!!』を降板すると発表されたが、これも「卒業」である(「テリー伊藤、『スッキリ!!』を3月に卒業」)。この場合、本人が「そろそろ卒業したい」と言い出したというよりは、辞意を受けて、番組側が「卒業」という言葉を公式発表に使ったのかもしれないが、こういった用法がメディア主導で広められ続けた結果、今や「卒業」は「何かを辞める時の使い勝手のいい言葉」になりつつある。例えば、「バイトを卒業する」とか「会社を卒業する」といった類だ。近年、日本は若者のみならず、中高年まで耳触りの良い、前向きで優しい言葉を多用するようになり、「ボエム化」が進んでいると指摘される。「誰かを支える」が「誰かに寄り添う」になり、「励まされる」が「勇気をもらう」なる。「卒業」の意味拡大もその一例なのかもしれない。

11:20:41
 昨日、Netflixが今後2年で200か国に進出する目標を掲げた("Netflix accelerates global push as U.S. growth slows")。映画をはじめとする膨大なコンテンツをテレビ、PC、スマホ、タブレットなど様々なデバイスで、月9ドルほどで見放題で楽しめるアメリカの動画配信サービスNetflix。アメリカ国内だけで3,700万人(2014年9月)の契約者を抱えるNetflixのせいで、それまで長年かけて定着したテレビ視聴スタイルだったケーブルテレビ離れが進んだとか、ビデオレンタルというビジネスが壊滅したとか、あるいはNetflixはピーク時のインターネット・トラフィックの実に3分の1を占めるため、通信事業者に回線の優先利用料を払うことになったとか、何かと話題になることは多いが、アメリカ人のメディア利用に非常に大きな変革を起こして来たことは間違いない。日本でもコンテンツ配信といったテーマが議論される際、Netflixがしばしば事例として取り上げられている。実際、私も昨年春にアメリカから帰国して以来、Netflixの話を聞かれることが多い。
 Netflixの勢いを象徴的に語るのが、オリジナルコンテンツ製作である。2013年に配信された連続ドラマ『House of Cards』のシーズン1は昨年、アメリカ・テレビ界の最大の栄誉と言われるエミー賞に13部門でノミネートされた。この作品を見たいがためにNetflixに加入する人も多かったことは言うまでもない。それ以外にも、映画部門に進出し、今年公開予定の『Crouching Tiger, Hidden Dragon』(邦題・『グリーン・デスティニー』)続編の製作にも乗り出した。ここで議論を呼んだのは、Netflixが作品を劇場公開と同時に会員に無料配信することを打ち出した点である。今後は年間十数本の製作を予定している。こういった動きは、従来の映画コンテンツ展開、つまり劇場公開に始まり、時間差・価格差をコントロールしながらコンテンツをDVD・BDやテレビ放送など様々な媒体に展開していく、いわゆる「ウィンドウ戦略」のあり方を大きく変えることになる。もちろん、劇場興行主は反発していて、大手劇場チェーンが上映ボイコットを言い出したりもした("AMC Theaters Refuses to Show Netflix’s Crouching Tiger, Hidden Dragon Sequel")。ちなみに動画配信サービスでNetflixのライバルであるAmazonも映画製作に乗り出し、劇場公開の4〜8週間後にはプライムインスタント・ビデオで配信する予定である("Amazon to Produce and Acquire Movies for Theatrical, Online Release")。ケーブルテレビやレンタルビデオのみならず、映画興行にも影響を与えるとなると、NetflixやAmazonなどの動画配信サービスは最早全ての映像メディアを飲み込んで成長しているようにも見える。
 しかしNetflixに課題がないわけではない。2013年売り上げ(約44億ドル)のうち約30億ドルはコンテンツ調達費、つまり大手映画スタジオや番組制作会社への支払である。これに、上述の通信事業者への支払いが追い打ちをかける。こういったコスト高体質に加えて、アメリカでの成長はやや陰りが見える。2014年第4四半期は前年比で増収増益とはいえ、同年5月に実施した値上げの影響か、米国内の新規契約数は190万人で、前年の230万を下回ってしまった(もっともNetflixは価格変更後の新規加入者は主に所得の低い層であり、新価格設定と新規加入者の相関性は低いとしている)。
 そんな中、活路を見出そうとしているのが海外市場である。2010年から海外展開を行ってきたNetflixは現在アメリカ以外の約50か国にも2,000万人ほどの契約者を抱えるが、冒頭に記したように、今後2年で200か国に進出する目標を掲げた。そして、いよいよ今年は日本上陸という話も喧しい。私は放送業界にいる知人数名から、某企業が名乗りを上げたなどという話を聞いたが、微妙に内容が食い違っている。情報や噂が錯綜しているのかもしれないし、本当のところはわからない。ただ、冒頭の記事には具体的な国名として中国は記されているが、日本進出に関しては言及されていない。200か国にも進出するのであれば、日本は含まれていても当然と思えるが、果たして現在の日本市場はNetflixにとってどれほど魅力的な市場なのだろうか。1人当たりの可処分所得が高いことや、長年にわたってアメリカ映画の重要な市場であったこと、さらにはネット環境が整っていることや各種デバイスの普及が高いことなどは、進出の判断材料としては当然プラスに働くと考えられる。
 一方、不安材料と思われるのはどのような点だろうか。よく指摘されるのは、先日デロイトトーマツが発表したリポート「デジタルメディア利用実態グローバル調査2014」にもあるように、日本では(例えばアメリカの視聴者と比べて)、有料でコンテンツを消費するサービス自体に対して興味が低いという点である。実際、有料の動画配信サービスでこれまでのところ成功モデルはあまり見当たらない。一時期アメリカでNetflixと人気を二分していたHuluは2011年に日本進出し、昨年は日本テレビに買収された。契約者数や損益が明らかにされていないので経営状況は不明だが、実際の契約者に聞くとサービス自体の評判は悪くないものの、一般に浸透しているとは言いがたい。Netflixも少なくとも現段階で関心を持つのは業界関係者やITイノベーションの早期採用者が中心で、重要顧客になりそうなテレビ視聴者でいうところのF1/M1層でNetflixが日本へ来ることに期待するような人はかなり限られるのではないだろうか。そのようにあまり関心が高くない市場で月額1,000円程度の無名サービスを立ち上げ、会員を増やしていくのは非常に大変であると予想される。
 さらに日本独自の点を挙げると、いまだにレンタルビデオにニーズがある点も見逃せない。借りるのも返すのもわざわざ店舗に出向かなければならず、在庫に限りがあるため特に最新作などは貸し出し中で見られない可能性が高く、しかも延滞料金まで発生しうるサービスがアメリカで急速に衰退したのは、まさに動画配信サービスの発展と期を同じくしているわけだが、日本はレンタルビデオサービスにある程度満足している人は多いのではないだろうか。普段大学生と接していると、レンタルビデオ利用者は多いと感じる。
 恐らく世界市場での成功の試金石としてNetflixがHulu以上に注視しているのはHBOである。HBOとはアメリカの有名なプレミアムチャンネルで、サービス自体は日本のWOWOWのようなものだが、ケーブルテレビなど有料放送に加入しないと視聴できないため、これまでHBO視聴に対するニーズが有料放送加入の大きな要因になってきた経緯がある(もっとも近年のNetflixの急成長に慌てたHBOは今年から有料放送契約者以外に向けた動画配信も行うと発表した)。HBOは日本ではあまり馴染みがないと思われるが、他の多くの国ではNetflixよりはるかに知られている。実は2013年、Netflixがアメリカ国内の総契約者数でHBOを抜いたと大きなニュースになった経緯があるのだが、その時にHBOが強調したのは、世界規模で見た場合、HBOの方がはるかに多くの契約者数を持つという点だった("Netflix Surpasses HBO in U.S. Subscribers")。実際にその時点でのアメリカ以外での契約者はHBOの8,600万に対して、Netflixは710万に過ぎず、それ以降、Netflixは急速に海外展開に傾斜した。そのHBOはアジアでも積極的に展開しているものの、なぜか明白な理由はわからないが、日本には来ていない。HBOの親会社であるタイムワーナーはCNNやカートゥーンネットワークなど、その他のケーブルチャンネルの日本進出には熱心だったにもかかわらずである。
 海外のメディアが日本に進出する際、かねてから「日本は豊かで魅力的な市場だが、独特な嗜好や習慣があり難しい市場でもある」と言われることが多かった。長年にわたって日本の視聴者を涵養し、独特な市場を育ててきたのは地上波放送の力が大きいと思われるが、果たしてNetflixは重い扉を開けて入ってくるのだろうか。そして、アメリカでそうだったように日本のメディア消費に一石を投じることはできるのだろうか。

20:00:05
 錦織圭選手がUSオープン決勝に進出するってことで、日本中が急に熱くなりはじめている。日本時間の明日9日早朝には決勝戦だが、ここにきて問題となっているのは中継するのが有料放送WOWOWってことである。最近完全におかしくなっている朝日新聞(実はWOWOWの第7位株主で1.9%所有)なんかは「錦織圭の全米決勝、どうやって見る? 9日午前6時開始」なる記事で、完全にWOWOW契約の宣伝してしまっている。ちなみに朝日の別の記事「錦織効果、WOWOW申し込み殺到」によれば、WOWOWの加入者数は今年8月に約4万3千件が新規加入し、約264万らしい。ただ「錦織景気」でさらに増えるのは必至で、年度末時点でのピーク(01年度末の約266万)を超えそうな勢いだとか。でも仮にWOWOW契約世帯が260万としても、日本の全世帯の20分の1くらい、つまり20世帯に1世帯しか中継を見られないことになる。
 一方、民放が放送しないことに対する不満の声は高いようで、特にNHKには「何にために受信料払ってるんだ!」という声が届いているようだ(「なんのために受信料払ってんだ!」テニス錦織圭、歴史的快挙の裏で、なぜかNHKがとばっちり!)。「なぜ地上波で放送しないのか」などという人は、心情的にはわからなくもないが、やっぱり「見たいものは全て地上波が放送してくれる」といった前時代的感覚が抜けていない気がする。明日の錦織の試合を見たければWOWOWと契約すればいいだけの話だ。ましてや公共性云々を持ち出すのは、相当な勘違いである。日本人選手が世界的なスポーツ大会の決勝に登場するのは、それはそれは凄いことだが、別に日本に住むできるだけ多くの人が見るべきもの・知るべきものでもなく、あくまで見たい人が見ればいい。
 アメリカの有料放送産業を長年研究観察してきた身としては、今回のようなことをきっかけに「見たい番組のためにはカネ払おう」って意識が日本にも広まればいいと思う。上記のように、今回の中継でWOWOWは契約者数が伸びているようだが、アメリカでは有料放送がキラーコンテンツを奇貨として契約者数を伸ばすことは普通にある。例えば最近の例だと、映像配信サービスではあるが、NETFLIXも契約者を大きく増やすきっかけとなったのはオリジナルドラマ『ハウス・オブ・カード』だった。一方、ここにきてテニスの世界大会中継は突然WOWOWのキラーコンテンツ(目玉番組)になったわけだが、実はWOWOWは1990年代初頭から全豪、全仏、全米、2008年からは全英も放映してきたという経緯がある。WOWOWとしても、こんな日が来ると思って中継を続けてきたかどうかは定かではないが、少なくとも、NHKにも民放にも今回のような日本人選手の活躍がなければ話題にもならないようなコンテンツに投資する気はなかったと思う。そして、今回のように突如脚光を浴びるコンテンツの放送に地上波放送が今後どこまで対応できるかは心もとない。なぜならば、地上波放送はこれまで以上に確実に視聴率が取れそうなもの、つまり即効性がありそうなものにしか触手を伸ばさなくなってきているように見えるし、その意味では地味なコンテンツを育てる余裕はなさそうだし、その一方で、視聴者の嗜好細分化の中で確実に視聴率が取れそうな番組なんてますます見つけ出すのが困難になってきているからである。とは言っても、地上波放送には「人気が出てきたからカネにモノ言わせて横取りする」っていう伝家の宝刀があるし、現実問題として放映権ビジネスはやはり資金力で決まる部分が大きい。いまだに圧倒的な資金力を持つ地上波放送に、有料放送がコンテンツ獲得で拮抗する日は、やはり日本では遠いのだろうか。

18:08:10
 今年の夏、『ドラえもん』が全米で放送開始される(日本経済新聞「ドラえもん、全米デビューへ」)。日本を代表するテレビアニメである『ドラえもん』はこれまで35の国と地域で放送され、東アジアや東南アジアでも高い人気を誇るので、これまでアメリカで放送されていなかったことを意外に思った人もいたかもしれない。同じく日本を代表するテレビアニメである『ポケットモンスター』がアメリカでは大人気だったわけで、「日本のアニメが世界を席巻」と言っても、実は国・地域によってアニメ作品の受容が異なることを実感する。
 アメリカでの放送は、現地の文化や習慣に合わせて、登場人物の呼称やドラえもんが出す道具、ストーリーの一部を変えるという。登場人物(例えば「のび太」が「ノビー」)や道具(例えば「どこでもドア」が「エニーウェアドア」)は、アメリカの子供が親しむためには当然必要になるだろう。アニメ放送にさきがけて配信されている電子書籍版では、「どら焼き」が「パイ」に変更されていると言うし。気になるのはストーリーをどのように変えるのかという点である。
 では、なぜこれまでアメリカで放送されなかったのかという点について、先に引用した日経新聞は「強いヒーローを望む米国との文化的ギャップや権利調整などが壁となり、米国では未放映だった」と伝える。権利調整の部分は部外者にはわからないが、前半の強いヒーロー云々といった話は、実はこれまでもまことしやかに語られてきた。別にアメリカで人気の高いアニメーション作品に強いヒーローの登場が必須と言うわけではないだろうが、のび太が困難にぶつかるとドラえもんに頼るという定型パターンが、アメリカの子供たちにというよりも、実質的に子供番組のチャンネル権を持つアメリカの親層に受け入れられないといった話は真実味があった。確かにアメリカでは幼い頃から自立や独立が重んじられるし、問題を自分で解決することが尊ばれる。そういった教育方針を持つ親にとって、のび太の姿勢は肯定的に捉えられないと判断されてきたのかもしれない。でも、のび太がドラえもんに頼ることなくしては作品が成立しないようにも思える。
 ストーリーに関しては他にも気になる点がある。『ドラえもん』がアメリカで放送開始されると言う話自体は、僕はちょっと前に関係者から聞いていたのだが、その時の話だと、のび太がジャイアンにいじめられるシーンもNGらしいということだった。何かを強要することは問題ありだし、殴る・蹴るといったシーンに至っては暴力シーンと捉えられる可能性もある。さらに、そうやっていじめられても、のび太とジャイアンが友達同士であることも、なかなか理解しづらいかもしれない。ジャイアンのような問題のある子とは付き合わないようにするとか、何かしら対処が必要なのではないかと思われかねない。ただ、そのようなのび太とジャイアンの関係が『ドラえもん』の重要なポイントになっていることは間違いないし、それなしでストーリーが成立するのかという気もする。
 今回アメリカで『ドラえもん』を放送するのは、ディズニーの子供向けチャンネル「ディズニーDX」である。世界共通のウォルト・ディズニーのフィロソフィーは「夢は叶う」であり、それは映画はもちろん、ディズニー関連のチャンネルで放送される番組にも具現化されている。ただし、他力本願ではなく、あくまで自分の努力で夢が叶うことが重要である。また、人を傷つけたりするような内容や描写は、ディズニー・ブランドの下ではタブーとされている。これらの点を併せて考えると、先述のシーンに対してディズニー側が神経質になるのもわからないではない。
 さて、あともう一点気になるのは、しずかちゃん絡みの描写である。かなり有名な話だが、しずかちゃんは風呂好きで、入浴シーンも多い(ちなみにNaverまとめの「しずかちゃんの入浴シーンまとめ」)。しずかちゃんの入浴を想像したり、覗こうとするのび太の描写も含めて、アメリカじゃ放送は恐らくNG。
 このように、『ドラえもん』の根幹を成す設定がアメリカでは受け入れられにくいかもしれないという懸念はある(まあ、しずかちゃん入浴は根幹ではないけど)。ただし、そういった部分は結局、描写の程度問題だし、ドラえもんへの依存やジャイアンのいじめが比較的緩いエピソードを選んで放送すれば、なんとかなるのかもしれない。その意味では、ストーリーの「修正」の問題ではなく、ストーリーの「選択」の問題のように思える。
 アメリカでは全てのテレビ番組は内容によって「全ての子供向け(TV-Y)」とか「7歳以上の子供向け(TV-Y7)」とか「親の指導が強く勧められる番組(TV-PG)」というふうに7つの階級に分けられ、レーティングが付けられている。さらに、暴力(V)や性描写(S)シーンを含む場合は、それらが想像上のものであっても表記される。表現の自由が認められているので、そういった描写を規制・排除することは少なく、子供の目に触れさせる・させないはあくまで親に委ねられている。ただ、ディズニーの子供向けチャンネルであれば、親にとって安心感のない番組を流すこと自体がまずありえないと思うので、その意味でも基準に抵触しそうなシーンを含むエピソードは避けられる可能性が高い。まあ、一話完結が基本なので、それでも問題はなさそうである。
 今回の『ドラえもん』放送は、アメリカでのリメイクではない。かつて『鉄腕アトム』のハリウッド版を作る時にアメリカ側がオリジナルとは随分とかけ離れたアトムのデザインを提示して手塚プロ側を困惑させたという話もあったが、今回の『ドラえもん』に関してはそういった心配はない。ディズニーによるリメイクだと、最初は弱かったのび太が逞しく成長していく過程が強調されたりしそうで、そうするとやっぱり『ドラえもん』ではないような気がする。

11:00:21
 日本新聞協会が2013年全国メディア接触・評価調査の結果を発表した。朝日新聞毎日新聞も大々的に「新聞を読んでいる人は83.6%」と報じている(ちなみに同調査結果によるとインターネットを利用している人は66.8%)。日本新聞協会は全国の各新聞社が会員として名を連ねる組織だから、この結果はさぞ嬉しいだろう。全く「新聞離れ」じゃないと思えてくる。全国7,000人のうち有効回答が3,801名(54.3%)であれば相当な規模だし、社会調査の回答率としても良いと思う。しかし、結果概要を見ても、一体どういう人が実際に調査に参加したのか、よくわからない。層化2段無作為抽出で選ばれた7,000人は15歳以上79歳以下の男女の実際の人口構成を反映しているとは思うのだが、その中で実際回答した人たちの年齢構成や男女比が明らかにされていない。
 そのため、「新聞を読んでいる人は83.6%」と言われても、どういった母集団を想定しているのかわからず、どう捉えるべきかよくわからない。新聞購読者が83.6%と言われても、回答者の多くが高齢者であれば「まあ、そんなもんかな」と思うし、逆に相当数の若者も回答していて、日本の成人の世代構成を割と的確に反映しているならば「それは多いな」と思う。今回の調査に関しては、あくまで私見だが、恐らく前者だと思われる。調査方法は「訪問留め置き法」で、調査票に記入してもらい、後日回収するやり方である。当然、比較的時間に余裕があり、在宅率が高い人の回答率が高くなると予想され、この方法のみを採用している段階で、回答者構成にバイアスがかかるのは避けられなさそうである。
 また、ある設問の結果、「新聞を読んでいる3,177 人に、継続して読み始めた時期を尋ねたところ、44.4%の人が、社会に出る前から新聞に親しんでいることが分かった」とある。毎年、複数の大学の講義で学生に新聞を読んでいるか尋ねてきたが、近年は44%からは程遠い。自分が大学生だった20数年前も、恐らく新聞に親しんでいる学生は(近年よりは多いにせよ)44%に達していたとは思えない。ただ、時代をもっと遡れば、若者が新聞に親しんでいた時代もあったのかもしれないわけで、そういった時代に社会人になった人たちが回答者の多くを占める調査なのだろうと思う。
 また、別の設問では、各メディアの印象・評価を聞いていて、ブログやコミュニティーサイト、SNSに対しては、42.4%が「イメージがわかない・評価できない」と答えている。これも今日の若者層の態度とは程遠い。やはりこの調査に若者層の回答があまり反映されていないことが伺える。
 ただ、ヘッドラインなどで表立って言ってはいないものの、調査概要を見ると、「インターネット調査では把握しにくいシニア層の動向を探るため」などと書いてある。結局、この調査は高齢者たちの新聞接触や評価のためのものということなのか。それならば結構だが、しかし、日本の15歳以上の一般的な傾向を報じるようなミスリードはすべきではないだろう。
 邪念かもしれないが、この調査結果からは、あえて回答者の年齢構成をはぐらかしているような印象を受けるのである。なぜだろうか。「新聞離れって言われてるけど、新聞はこんなに多くの人に読まれてるんですよ」と広くアピールするためか。調査結果は新聞各紙に掲載されただろうから、熱心な新聞読者層である高齢者の多くは、実感を伴う結果を違和感なく受け入れるのかもしれない。一方、この調査結果をネットで知る若年層はどうだろうか。自分たちのリアリティを反映していない結果を堂々と伝える姿に、ますます新聞離れが加速するかもしれない。

プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
Twitter:@obagoro

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