地殻変動が起きているメディア環境を観察し、そこで流通するコンテンツを批評
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13:01:05
 3月2日のアカデミー賞授賞式の中継で、司会進行を務めたエレン・デジェネレスは度々小道具としてスマホを持ち出した。極めつけは会場にいるスターたちと撮ったセルフィー(selfie、自分撮り)で、わずか1時間の間に100万リツイート、5日までに320万リツイートを記録した。リツイート数の世界記録だそうで、日本でも随分と話題になった。本当に楽しそうでいい写真だ。

Ellen-Selfie.png

 エレン・デジェネレスはアメリカではトークショーの司会者としてかなり有名で、タレントいじりと悪ふざけ芸に定評がある。そんな彼女だから、アカデミー賞でのセルフィーも非常に自然で、自分が普段愛用しているスマホを取り出して、スターたちをいじりながら、「ツイッターをクラッシュさせよう」という悪ふざけに興じているように見えた。中継ではその時の様子が一部始終放送され、エレンの白いスマホも、ずっと画面に映し出されていた。

smartphone.png

 ところが、そのスマホは実はエレンの私物ではなく、番組スポンサーであるサムソンから提供されたものだった。番組内での商品露出を狙ってのことである。このことから、日本では「これってステマ?」といった疑念もあるようだが(「アカデミー賞の授賞式はサムスンのステマだったのか?!」)、なんてことはない、ウォールストリート・ジャーナルの記事「サムスンの広告戦略、想定以上の大成功 アカデミー賞授賞式で」にあるように、「プロダクト・プレイスメント」というブランド・プロモーションの一種である。
 プロダクト・プレイスメント(あるいはブランド・プレイスメント)とは、映画、テレビ番組、ビデオゲームなどコンテンツ内で実在のブランド製品を露出させることである。製品自体を映し出すこともあれば、ロゴだけを強調することもある。また、セリフでブランド名に言及することもある。テレビCMのように作品中に広告を挿入できない映画で伝統的に使われてきた手法だが、プロダクト・プレイスメントが飛躍的に注目を浴びるようになったのは1980年代である。大ヒット映画『E.T.』に登場したReese’s Piecesというチョコレートの認知度が映画での露出を契機に高まったこと、そして、プロダクト・プレイスメントを専門的に扱う代理店(そんなのまであるのかって感じだが…)が次々と誕生したことと関連づけられる。
 ハリウッド映画を見ていると、ジャンルによっては本当によく目につく。2012年のアメリカでの興行収入1位34作品の中には、397のブランド製品が登場したり、言及されたりしている(1作品あたり11.7ブランド)。ちなみに、その34作品の中に最も多く登場したブランドはメルセデス・ベンツで、10作品に登場している。作品ごとに見ると、近年の有名作品でプロダクトプレイスが多かったのは『セックス・アンド・ザ・シティ』(2008年)で、実に94ブランドが登場している。『セックス・アンド・ザ・シティ』もそうだが、作品によっては、ブランドが物語上、非常に重要な役割を果たしたり、登場人物のキャラクターを印象づける上で不可欠だったりすることもある。今回のアカデミー賞におけるサムソンのスマホも、エレンの悪ふざけ劇の中で重要な役割を果たしているという意味では、それに近いような印象を受ける。
 近年では、映画以上にテレビ番組におけるプロダクト・プレイスメントが盛んなのだが、そのことは従来のテレビCMがスキップされるなどして、効きにくくなっていることとも関係があるのかもしれない。とにかくプロダクト・プレイスメントはアメリカではかなりの大きなビジネスになっていて、PQメディアによれば、2012年の市場規模(自社ブランド露出のために払った額)は47億5000万ドルだったが、実際にはその数字だけでは、プロダクト・プレイスメントの全体像を掴むことは難しい。企業側の支出を伴わないプレイスメントも多いからである。有名なのはアップルで、2012年興行収入1位作品ではメルセデス・ベンツに続く9作品での露出だが、スタジオ側は無償でアップル製品を登場させている。アップル製品が物語上あるいは登場人物描写上で不可欠であるためだろうが、アップルにとっては、小道具などの供与はあるにせよ、無料でプロモーションをしてもらっているようなものじゃないだろうか。
 一方、コンテンツ会社側にしてもメリットは大きい。先述の通り、小道具などの供与を受けることで制作費節約につながるうえに、場合によってはカネも払われる(アカデミー賞のサムソンの場合、プロダクト・プレイスメント費用は広告契約1800万ドルに含まれたようだ)。しかもブランドのCMなどでビデオクリップが使われれば、コンテンツのプロモーションにもなる。面白いのは、アメリカでも特に若者にはプロダクト・プレイスメントに抵抗がない人が多く、架空のブランドが登場するよりもむしろリアリティが増すと評価する声も聞かれる。ただ、もちろんこれは程度の問題で、プロダクト・プレイスメントは「観客に注目されるように目立たなければならないが、観客を不快にさせるほど目立ってはいけない」と言われる。
 最近ではアメリカ以外の国でもプロダクト・プレイスメントが活発になっていて、世界的に見るとブラジル、メキシコがそれぞれ8億6000万ドル、6億7000万ドルで2位、3位につけている。中国市場も成長著しく、2012年は前年比27.2%増の約1億ドルである。2011年の『トランスフォーマー3』にはいくつかの中国ブランドが登場して話題になったし、逆に中国映画には、中国市場を重視するグローバルブランドが次々と登場し始めている。新興国には、アメリカ同様、プロダクト・プレイスメントを専門的に扱う代理店も誕生しているようだ。
 翻って日本に状況はどうだろう。世界的に見れば6位(1億ドル以上)ではあるが、経済規模、広告規模、メディア規模などの割には、あまりプロダクト・プレイスメントが盛んに行われている印象はない。ドラマなどでは昔から提供スポンサーの製品が登場したりしていたが、恐らく多くの場合、他社製品と代替可能であり、特定ブランドでなければいけないような役割を与えられているわけでも、物語における重要な要素となっているわけでもないことが多いように思う。プレイスメント専門の代理店があるかは不明である。
 プロダクト・プレイスメントにはいくつかの欠点がある。ブランドはコンテンツの中にはめ込まれてしまうので、キャンペーンが終わったから新製品と替えるというわけにはいかない(デジタル技術で可能という話もあるが)。実際、昔の映画を見ていると、今はもう存在しないブランドが登場したりする。また、実際にどういった効果があるのか測定しづらい点もブランド企業側には不評なのかもしれない。これまでの研究では、ブランド認知・想起を高めたり、好意的なブランドイメージを形成したり、口コミの広がりを発生させたり(アカデミー賞のサムソンの場合、一時ソーシャルメディア上で1分間に約900回も言及されていた)、あるいは新製品投入を後押しするのに有効とされているが、それにしても、どういったコンテンツにどういうふうに露出させるか次第というようにも考えられる。他のプロモーション活動とのマッチングもあるだろう。いずれにせよ、ただブランドを登場させるだけでは、あまり効果は期待できず、かなり入念に戦略を策定しなければならないと考えられる。 

10:32:00
 安倍首相自ら日本のテレビ番組の海外展開の重要性を力説したのは昨年5月のことだった。2012年度補正予算の170億円が投入され、番組輸出額を5年間で3倍にする目標が掲げられた。なぜ、そこまで国がテレビ番組の海外展開に熱心なのかというと、テレビ番組という大衆文化が日本のイメージ向上や、あるいは日本のブランド製品販売や観光客増加など、他産業への波及効果に寄与するという期待があるからである。日本のポップカルチャー全般を扱うクールジャパン政策にも同じような期待が見られるが、テレビ番組の海外展開も、文化交流的にも経済的にも素晴らしいことと捉えられているようである(ちなみに、テレビ番組輸出3倍増計画を聞いて考えたことは、当時のエントリー「成長戦略としてのテレビ番組輸出3倍増計画の心もとなさ」にまとめてあるので、ご覧下さい)。
 その後、昨年9月には、民放やNHK、広告代理店など15社・団体が共同で、日本の番組の輸出拡大を目指す「放送コンテンツ海外展開促進機構」を設立した。日本の放送局は長年にわたって、それぞれ独自にテレビ番組を海外に売ってきた経緯があるわけだが、それほど大きな成功があったわけではない。そこで、テレビ番組を海外諸国に売るために、官民挙げての大掛かりなオールジャパン体制が組まれたのである。国を挙げての取り組みだから、最近ではテレビ番組の海外展開に関して全国紙などでも取り上げられることも増えた。
 そんな中、今年に入って、日本のテレビ番組の海外展開に大きな動きがあった。まずは今月22日にスカパーがインドネシアで「WAKUWAKU JAPAN」という、24時間日本の番組を専門的に放送するチャンネルを立ち上げた(スカパーのプレスリリースはこちら)。総務省、経産省、観光庁などが関わる大掛かりなプロジェクトで、件の政府補正予算が字幕や吹き替えに使われる。開局に先駆けて行われた記者会見も大賑わいだったようだ。
 まるで、日本のテレビ番組の海外進出における新たな一歩のような注目のされ方だが、こういうチャンネルって、実はこれまでもアジア諸国に存在していた。日本の番組に対するニーズが高い台湾には以前から複数の日本番組専門チャンネルがあるし、意外なところでは、事実上地上波放送で日本のドラマやバラエティ番組が放送できない韓国にも存在する。このように、多チャンネルの1つとして、日本の番組を専門的に扱うチャンネルがあることは別に珍しい話ではない。日本主導のものでは、今から18年ほど前にTBSと住友商事が取り組んだシンガポールの「JET」(Japan Entertainment TV、後に台湾へ移行)があったし、今回のWAKUWAKU Japanに似た感じならば、今からちょうど1年前に電通と民放4局が中心になってシンガポールに設立された「Hello Japan」がある。
 でも、こういったチャンネルがきっかけで現地に日本ブームが巻き起こったなんて話はあまり聞かない。なぜかというと、これらのチャンネルはケーブルとか衛星放送で視聴可能な数多あるチャンネルの1つなわけだが、プラットフォームのリーチが小さい。先のシンガポールの日本番組専門チャンネルの場合、プラットフォームである現地のケーブルテレビでの視聴可能世帯は57万世帯である。今回のインドネシアの場合でも、WAKUWAKU JAPANが見られる衛星放送の契約世帯が200万である。それらの数を上限として、視聴者は数百のチャンネルに細分化される。日本番組専門チャンネルを見る層は一体どれくらいいるのだろうか。そもそも、チャンネルは認知されるのだろうか。アメリカのように多チャンネルが進むメディア環境では、各チャンネルは他チャンネルとの差別化のためにブランド戦略に注力するのが常だが、そういった面での取り組みも重要だと思われる。
 もう1つ懸念されるのは、日本の各放送局からどこまで魅力的なコンテンツが集まるか、という点である。当然ながら採算ベースを重視する各局にとって、日本番組専門チャンネルに優先的にコンテンツを出すインセンティブは必ずしも高くないかもしれない。さらに、潜在視聴者数が少ない中でどれだけ広告主が集まるか、逆に、広告収入に期待できないとして、魅力的なコンテンツが不足している中で課金システムが成立するか、など課題は多い。鳴り物入りで始まったシンガポールのHello Japanもコンテンツが集まらず、記念すべき開局記念番組が日本で6年前に放送が終わっている『ウルトラマン・メビウス』だと聞いた時には、なんか違うんじゃないかと感じた記憶がある。
 今回、インドネシアで始まるWAKUWAKU JAPANはどうだろうか。目を引くところでは『あまちゃん』とかJリーグ中継である。それらがインドネシアの視聴者にどの程度訴求するものなのかはわからない。ただ、日本から調達可能なコンテンツを単に並べているだけではなく、インドネシア視聴者の嗜好・関心、さらにチャンネルの使命である他産業への経済効果を勘案して番組編成をしているのだろうから、今後の成り行きに注目したい。そうそう、WAKUWAKU JAPAN開局を伝えたメディアには、その後もきちんと報道してもらいたい。コンテンツ海外展開話って始まる時は大きく報じても、その後どうなったのかぱったり情報が途絶えることが多い。
 一方、ベトナムからは、現地の地上波放送で日本企業が提供スポンサーになって日本のドラマが放送されているというニュースが入ってきた(朝日新聞「ドラマ輸出、CMもセットで 相乗効果で日本を売り込み」)。先のインドネシアの日本番組専門チャンネルとは異なり、ベトナムで多くの人に親しまれてきたチャンネルでの放送である。視聴者に予備知識も期待も乏しい外国のテレビ番組が短期間で注目を集めるためには、地上波放送のような圧倒的なリーチを誇るメディアに乗せることが最も有効であることは確かだろう。以前から指摘してきたとおり、『冬のソナタ』が日本で大きな注目を集めた要因として、NHKという日本代表するテレビメディアで放送され、また、そのNHKが大々的なプロモーションをしたことは大きい。
 では、上掲記事が注目している、番組の日本企業のCMとのセットはどうだろうか。最初に思ったのは、番組と提供スポンサーのマッチングが難しい上に、それを維持していくのも結構大変そうだなってことだった。こういった動きに賛同して、提供スポンサーに名乗りを上げる日本企業がどれくらいいて、しかもその中でも、番組のメイン視聴者を主なターゲットとする企業がどのくらいいるものなのだろうか。そう考えると、日本の番組を根付かせるため一時的措置のような気もする。仮に、日本の番組がベトナム視聴者に定着し、一定の人気を獲得できるようになれば、現地企業の中にも広告主になりたいという希望は増えるだろうし、日本企業にしても、別に日本の番組に限定しなくても、顧客と視聴者が合致する現地の番組(おまけに通常そちらの方が視聴率は高い)の提供スポンサーになればいいだけの話のように思える。 

14:50:18
 放送・通信業界の動向に関心がある人は既にご存知だろうが、今月12日、アメリカの最大手ケーブル会社のコムキャストが第2位のタイムワーナーケーブル(TWC)の買収を発表した。株式交換による買収額は452億ドルで、昨年話題になったソフトバンクによるスプリント(アメリカ第3位の携帯電話会社)買収が216億ドルだったことからも、規模の大きさがわかる。買収が承認されれば、アメリカのケーブルテレビ市場の3割近いシェアを占めるだけでなく、ケーブルテレビに電話と高速インターネットを併せた、いわゆる「トリプルプレー」の約5割を扱う、巨大なブロードバンドインターネット・プロバイダーが誕生することになる。一方で、買収が独占禁止法に抵触すると判断される可能性もあり、買収そのものを懸念する声も聞こえ始めている。メディア企業の買収・合併に対してこのような否定的な声が起きることは珍しくなく、1990年代以降に加速した業界再編の中で何度も聞いてきたのだが、特に今回は日常生活に深く関わるテレビとインターネットにおけるキープレイヤー同士であり、消費者にとっての影響も大きいと考えられる。
 買収発表の翌日にThe New Yorkerに掲載された記事“We need real competition, not a cable-internet monopoly”によると、現在アメリカのブロードバンドインターネット環境は他の先進諸国に比べて著しく劣っていて、例えば、フランスでは「トリプルプレー」をアメリカの4分の1程度の料金で契約することができる上に、回線はダウンロードで10倍、アップロードで20倍の速さであるという。他にも韓国やスイスでは15~30ドルからトリプルプレー契約ができたり、イギリスでは多チャンネルサービスが無料だったりといった例が紹介され、アメリカでは他国に比べて大して質の高くないサービスに高いカネを払わされると述べている(ちなみに、我が家もアメリカでトリプルプレー契約をしているが、毎月126ドルも払っている)。そして、その理由として、アメリカのケーブルおよび通信産業での参入障害の高さと競争の少なさを挙げている。
 ケーブル会社は元々がCATV(コミュニティ・アンテナTV)という成り立ち上、それぞれの地域の事業者が運営していたのだが、90年代に入るとそれらを統合して運営する「MSO(Multiple Systems Operator)」と呼ばれる事業者が急増した。MSOはそれまで零細事業者が乱立していたケーブルテレビ業界を一変させ、規模の経済を活かした効率運営というビジネスモデルを確立した。このMSOの典型が今回の買収の主役であるコムキャストでありTWCである(ちなみに日本のケーブル最大手であるJ-COMもMSO)。いくつかのMSOを中心に90年代以降、ケーブル業界の統合・再編が進んだわけだが、問題はそれらMSOが各サービス提供地域で独占的に事業展開をしていて、他社との競争がほとんどないという点にある(消費者からすればケーブル会社選択の余地がない)。伝統的にケーブル会社は地方政府にフランチャイズを認められ、地域独占を享受してきたわけだが、結果として、不完全競争市場で競合に晒されることもなく、思いのままに料金をコントロールできる立場にあった。
 特にコムキャストはケーブル業界が統合・再編する中で資本を蓄えてきた会社という印象があり、株価は2009年からの5年間で実に5倍になっている。今回の買収が認められれば、全米の上位20市場のうち19市場をサービス対象地域として手中に収めることになる(各市場内で他者と営業区域を分け合っているケースがほとんどではあるが)。また一方で、コムキャストは昨年、巨大メディア複合企業であるNBCユニバーサル(全国放送ネットワークのNBCやユニバーサル映画を傘下に持つ)も完全子会社化している。現在行われているソチ五輪のアメリカでの独占放映権もNBCが取得しているので、実質的にはコムキャストのものであり、コムキャスト契約者はPCやタブレットなどでネット配信も楽しむことができる。今回のTWC買収により、コンテンツとアウトレットの垂直統合がさらに推し進められることになるだろう。
 今回の買収の大義としてコムキャスト側は、顧客に高度なサービスを提供するためにはインフラストラクチャーやコンテンツに積極的に投資できる資本力が必要であり、結局は公共の利益に適うだろうし、質の高いサービスのために料金の値上げはやむを得ないという。これらはメディア買収に際していつも聞かれる企業側の論理であるが、コンテンツに関してはそう言わざるを得ないと思い当たる点も確かにある。NBCユニバーサルという強力な番組供給事業者を傘下に収めていると言っても、コムキャストにすれば(無論、他のケーブル会社にとっても)同系列の企業が所有するコンテンツばかりを流すわけにはいかない。一方、番組供給事業者、例えば、他の大手メディア企業が所有するネットワークは当然、高い送信料を要求してくる。近年では、地上波放送再送信にかかる費用も急上昇しており、放送局とケーブル局で揉めるケースも発生している(詳しくは過去のエントリー「アメリカ・地上波放送ブラックアウトの結末」「ローカル局の弱みと有料テレビとの争い」をご覧下さい)。かつてのような「ケーブルテレビ=家庭に映像を届けるボトルネック」といった絶対的優位性が失われつつある中で、今回の買収はコンテンツホルダーとの交渉力につながると予想される。
 また、一部のMSOが巨大化することで競争が阻害されるという主張に対しても、当のケーブル関係者は自分たちが常に競争に晒されてきたと反論する。1992年のケーブルテレビ消費者保護・競争法では先述の市場上限規制がかけられ(これに猛反対したのもコムキャストで訴訟まで起こしている)、それ以降は常に衛星放送や通信会社、映像配信サービスとの競争を余儀なくされているというのである。今回の買収の背景に、若者ユーザーを中心としたケーブル離れ(詳しくは昨年のエントリー「アメリカのテレビ環境:ノーモア・ケーブルテレビ?」をご覧下さい)に対する焦りがあることは想像に難くない。巨大なインターネット・プロバイダーとして、ケーブル衰退の主要因とも言われるNetflixやAmazonの映像配信サービスをどのように扱うのかは気になる所だ。
 このような状況において、果たしてコムキャストのTWC買収が承認されるかどうかに注目が集まっている。司法省の反トラスト局は昨年、世界最大の航空会社誕生となったアメリカン航空とUSエアウェイズの合併を承認していることから、先のThe New Yorkerの記事では、大型買収に甘くなっているのではないかと疑義を呈している。一方、FCCは現在のトム・ウィーラー委員長がそもそも通信業界やケーブル業界のロビイストだった人物である。彼は最近のスピーチでも競争促進を政策の中心に置くことを明言している。競争促進は、公共の利益や多様性の確保と並び、アメリカにおけるメディア政策の基本理念の1つである。競争を重視する姿勢が今回のコムキャストによるTWC買収承認・不承認にどのように反映されるのか、注視したい。

10:41:20
 細胞生物学者・小保方晴子さんによるSTAP細胞作製成功に関する大手メディアの報道が物議を読んでいる。全国紙が、小保方さんの研究業績とは関係のなさそうな彼女のエピソード、つまり研究室で割烹着を着ていたり、壁にムーミンが貼られてあったりといった点を強調したことは、めいろま氏のブログ記事「一晩中泣き明かした30歳若手女性研究者と書く我が国にはゴシップ新聞しかないらしい」にまとめられている。1万回以上のtweetを記録していることからも、関心の高さ(そして恐らくブログ記事への賛同の多さ)が窺える。
 発見そのものにはあまり関係ない小保方さんのプロフィールが強調されている、さらには、送り手は女性を蔑視している、というめいろま氏の主張に対して、朝日新聞の古田大輔記者が個人的見解を述べている。実際には朝日新聞も、そして恐らく他の新聞も、小保方さんの人物像ばかりを強調していたわけではなく、むしろきちんと発見内容について報道していたようだ。だとすれば、今回の問題は「重要な研究成果(ニュースの幹の部分)を伝えなかったこと」ではなく、「主人公のプロフィール(ニュースの枝葉の部分)に焦点を当てすぎたかもしれないこと」になる。ニュースの主と従のバランスの問題とも言えそうだ。
 一方、テレビのニュース番組はどうだったのだろう。1月30日夜、いつものようにアメリカで半日遅れでNHKの夜7時のニュースを見ていた(その日の朝に日本と同時に放送されたものをDVRに録画・再生して夜に視聴)。スタジオの武田キャスターの第一声は「日本の理系女子、リケジョが世界をアッと驚かせました」。そして「リケジョ」という大きなテロップ。続いてVTRの映像は研究室での様子を映し出し、ナレーションは「実験では白衣ではなく割烹着」、「研究室はお気に入りのムーミンで一杯」。続いてVTRで紹介された本人のコメントで「研究をしていない時はペットの亀のお世話をしたり、お買い物に行ったり、温泉に入ったり、本を読んでいます。普通です」と、小保方さんの人物像紹介が続く。あくまで「どこにでもいる30歳の女性」が強調されつつ、そこに女子力(最近のNHKがいかにも好みそうなターム)の高さを表すようなエピソードを絡めてくる。
 その後、ナレーションで「自分を普通の女性と語る小保方さん。これまでの生物学の常識を覆す画期的な成果を挙げたのです」。番組開始からここまで約2分、VTRが始まってから約1分が過ぎている。STAP細胞の説明、研究者の驚きと称賛の声、海外ニュース報道の反応などが続き、ようやく彼女の偉業が伝わったが、6分過ぎたあたりで大学時代の話になり、ナレーションは「ラクロス部に所属し、オシャレにも気を使う活発な学生だった」と、また女子力がアップしそうなエピソードを絡めてきた。その後は、再生医療を志したきっかけ、STAP細胞の発想、研究での挫折と成功、そして今後の目標でVTRは〆られた。総尺で12分ほどである。全体的に見れば、難解なSTAP細胞の説明もきちんとされているし、国内外の研究者の声もよく拾っている。実はなかなかよくできたVTRなのだが、いわゆる「つかみ」に使われた彼女のエピソードの印象は強い。もし、そういったエピソードが最後に余談として紹介されたのであれば、印象は全く異なったものになっただろう。
 テレビ放送の場合、STAP細胞の説明や今回の発見を再生医療にどう活かせるかといった一般には馴染みの薄い事柄をわかりやすく説明しようにも時間が限られており、また、視聴者にとっては、新聞のように時間をかけて(場合によっては反復して)ニュースを読み解くことが難しく、さらに送り手が決めた順序で時間軸に沿って見ていくしかない。もちろん、そういったテレビメディアの特性を考慮した上で視聴者にニュースを伝えるのがプロの送り手だし、少なくとも上記のNHKニュースを見る限り、重要な部分を蔑にしているようにも見えなかった。しかし、このニュースに触れた視聴者にSTAP細胞作製成功に関して尋ねたら、結構多くの人が「ああ、割烹着の人が発見した…」とか「なんかリケジョが凄いことしたんだよね」とか、発見と直接は関係のない回答をしたかもしれない。これではニュースの本質は伝わっていないに等しい。
 先述のめいろま氏はブログで、海外諸国のニュースは小保方さんの発見はどういったもので、なぜ画期的なのかという点に焦点を絞っていて、発見と関係がない本人のプロフィールは伝えていないと述べる。実際にアメリカ3大ネットワークのニュースのサイトを確認すると、研究の成果や展望だけを伝えており、小保方さんの顔写真も載せていない。もちろん仮に割烹着やムーミンを挙げられても、多くのアメリカの視聴者にとって、そこから小保方さんの人物像を連想することは難しいわけだが、それ以前に、ニュースでは当事者に関する情報は必要最低限にとどめ(極端な場合、名前と所属だけ)、出来事と関連するものだけを伝えればいいという認識を送り手・受け手双方が共有しているようにも思える(ちなみに、ニュース以外の番組、例えばトークショーでは話題の人物のエピソードがトークのネタになったりする)。
 一方、日本にはアメリカとは異なるニューススタイルが存在する。めいろま氏は日本のニュースの特異性を挙げているけど、それはジャーナリズムの意義みたいなことだけで優劣を付けられるものではないというのも事実だろうと思う。日本の視聴者には現在のニューススタイルがウケるのだろうし、少なくとも、送り手はそのように信じているという点は留意する必要があると思う。例えば、一局だけ小保方さんのプロフィールには一切触れず、海外のニュースのように研究成果だけ伝えたとして、果たして視聴率が取れるだろうかという疑問が残るし、各局のニュース担当者がそのようなリスクの高い選択をするとは思えない。本来ならば視聴率競争と無縁であって然るべきNHKが小保方さんのエピソードを前面に出していることが、その証左だろう。前述の朝日新聞の古田記者も「(読者に)圧倒的に読まれ、シェアされるのは人物像の記事」と認めている。
 今回のSTAP細胞作製では、30歳女性という主人公がいて、「リケジョ」、「割烹着」、「女子力」みたいなキーワードがうまくはまった。逆に、人物像が見えないと、視聴者からは反感・戸惑いの声も起きそうである。「主体となる人がどんな人がわからないと、ニュースを見られない」、「親しみやすいエピソードがあれば、一層ニュースに入り込める」という視聴者は案外多いのかもしれない(1年前に起きたアルジェリアの人質拘束事件での実名報道でも同じように感じた)。外国の報道はそうではない、といったところで、日本の視聴者が慣れているのは日本のニューススタイルであり、日本のテレビメディアはそれを視聴者に涵養してきたと言ってもいい。
 つまり、人物像を彷彿とさせるエピソードを交えることが、日本のニュースである種の手法として定着しているのは、視聴者が求めるから、という考えに至る。今回の場合であれば、送り手の論理は「難解な研究の話ばかりだと、視聴者はついてこないかもしれない。だからニュースの主人公である研究者の親しみやすい一面のようなエピソードを絡めないと」ということだろう。恐らく番組制作者は、ニュースを伝えるうえで、そういった情報が枝葉であることは重々承知だ。しかし、視聴者を掴むには、そういった要素があった方が良いという考え方が、送り手に浸透しているとも考えられる。
 こういう話を突き詰めていくと、どうしても「視聴者のレベルが低いから、放送内容もそれに合せるように、わかりやすい内容を前面に出す」のか、「放送がわかりやすい内容ばかり優先するから、視聴者はそれに慣れてしまい、難解なものをますます敬遠するようになる」のかという、「ニワトリが先か卵が先か」みたいな話になってしまう。ニュースに限らず、バラエティ番組などでもこういった「テレビと視聴者の共犯関係」はよく指摘される。
 視聴者が見たがるものよりも、視聴者が知るべきものを優先するニュースであるべきというのはその通りなのだが、実際問題として、そういう指摘をするような人はもうそれほどテレビニュースに期待していないのではないのかという気もしないでもない。今回の小保方さんのSTAP細胞作製成功というニュースに苦情を呈する人だって、実は「もうあんまりテレビ見なくなった…」っていう人が多くて、逆にテレビのヘビーウォッチャーは、ああいった伝え方に慣れていたり、好きだったりして、違和感なくニュースを見ていたのかもしれない。でも、そうすると、ますます人々のテレビに対する態度の二極化は決定的になり、テレビは現存するテレビファンのニーズだけを満たせばいいことになり、変革は起きにくいということになるのか。

12:43:09
 アメリカの日本番組チャンネルで『半沢直樹』最終回の放送が終わってからまだ10日ほどしか経っていないので、いまだにあの作品の視聴感が頭の中に鮮烈に残っている。そんな中、「日本で話題のドラマ『半沢直樹』、新年初日韓国放映」というニュースが入ってきた。僕は昨年、日本のテレビ番組の韓国での放送・受容に関しては恐らく日本で唯一の書物を上梓しているので、こういった動きは当然要注意である。
 あまり知られていないかもしれないが、実は韓国の地上波放送では日本のドラマが放送されることはない。別に放送法で日本のドラマの放送が禁じられているわけではない。ただ、その一方で国民感情を損なわせる番組の放送は禁じられており、日本のドラマはそれに該当すると捉えられる可能性が高いため、放送事業者は誰も敢えて危険を冒して放送しようとはしない。日本に関しては言論の自由をいとも簡単に放棄してしまう、いかにも韓国メディアらしい論理である。
 以上のようなロジックで長年にわたってドラマのみならず、日本の大衆文化は韓国から締め出されてきたのだが、15年前から徐々に正式に開放されるようになり、ドラマも9年前からケーブルチャンネルでは放送されるようになった。しかし、ケーブルテレビでの放送だけではいかんせんリーチは限定的で、一作品が大きなブームにはなりにくい(対照的に『冬のソナタ』はNHKが衛星放送~地上波放送することで人気が頂点に達した)。韓国ではこれまで200タイトル以上の日本のドラマがケーブルで放送されてきたものの、多くの作品が視聴率1%に遠く及ばない惨憺たる結果に終わっている。
 こういった結果を持って、韓国の紙媒体などは「日本のドラマは韓国では受けない」などと断定してきた。しかし実は、日本のドラマの多くは日本での放送直後に韓国の動画サイトに韓国語字幕付きで違法にアップロードされ、日本のドラマに関心がある若者の多くの需要を満たしているのである。それから何か月か経って、ケーブルチャンネルで正規に放送されても、視聴者数が頭打ちなのは当然である。日本の番組販売側も韓国の番組購入側もそのことを熟知しているので、積極的に日本のドラマ売買に乗り出さない。つまり、表向きの規制を隠れ蓑に違法動画が隆盛を極め、結果的に正規ビジネスが成立しないという、コンテンツ事業者にとっては非常に劣悪な市場環境に陥っているのである。
 そんな中、日本で40%を超える視聴率を叩きだした『半沢』の韓国登場である。タイトルは「한자와나오키(ハンジャワナオキ)」(韓国語の発音には「ザ」の音がない)。例の名セリフ「やられたらやり返す。倍返しだ」も「당한 만큼 갚아준다. 배로 갚는다」と韓国語になっている。予告動画を見ると半沢っぽい声の人が起用されているようだが、実際は吹替え版と字幕版の2バージョンがあるようだ。
 さて、『半沢』は韓国で成功を収めることができるだろうか。『半沢』は10月には台湾や香港でも放送され、相当な人気を誇ったようだが、それらの国・地域と韓国とでは、一般的に日本の番組視聴をめぐる諸要因が違う。もちろん韓国の方がハードルは高い。
 理不尽な会社組織内部での不正や派閥争い、あるいは勧善懲悪などは、韓国人視聴者にも理解しやすいどころか、恐らく好まれる要素だと思う。ややマンガっぽいところがどのように捉えられるかわからないが、出演者が一様に演技派なのは好評価だろうし(韓国では日本のドラマは演者が下手と広く信じられている)、激しい感情吐露も韓国人好みだろう。一方、上司に楯突くシーンとか恋愛要素の少なさは韓国人視聴者にはぴんと来ないかもしれない。
 しかし、こういった要素は、もし『半沢』が韓国で成功すれば肯定的要因として、逆に失敗すれば否定的要因として見なされるように、結果次第で解釈が変わりうる。例えば、上司に楯突くシーンも、もし作品が成功すれば「韓国人には見慣れないが、その分新鮮に映った」、失敗すれば「あれはやり過ぎで、韓国人の情緒には合わない」と評されるかもしれない。コンテンツの海外展開の成功・失敗要因を作品の中身だけで分析しようとすると、どうしてもそういった後付けの恣意的解釈に終始してしまいがちである。数年前に日本映画『おくりびと』がアカデミー賞外国語映画賞を獲った時も、下馬評では納棺師という仕事が外国人に理解できるか懐疑的な声が多かったが、賞を獲った後は「死に向き合う姿勢は文化や国境を越えて広くアピールした」などと評価されていたのである。
 実の所、海外市場でのコンテンツの成功・失敗は、作品の中身もさることながら、どれだけ視聴者の関心を喚起できるか、そして、コンテンツがどういう状態で視聴者や観客に届けられるかによる部分が非常に大きいと思う。極端な話、駄作でも話題性作りと宣伝でセールスはある程度伸ばすことが可能である。では、韓国における『半沢』はどうだろうか。予告動画では、最終回が日本で42.2%の視聴率を取ったことを強調している。ハリウッド映画によく見られる、本国でどれだけヒットしたかをクオリティの裏付けに使う手法である。しかし、出演者が現地を訪れるなどのプロモーションはいつものように行われないようだ(外国市場にコンテンツを売り込む時、実はこの手法は有効なのだが…)。
 一方、なんといっても大きな懸案事項は、そもそもこの作品に関心があると思われる視聴者の多くは、先述のように違法動画で既に視聴済みである可能性が高い点である。日本での放送から時差なく、動画サイトで『半沢』を見た視聴者が数か月後ケーブルチャンネルで再び見るだろうか。そこに何か新しいプラスの要素があれば良いのだが、リアルタイム視聴に縛られるというマイナス要素はあっても、プラス要素はなかなか思い浮かばない。このように考えると、『半沢』のように非常によく作られていて、実際に日本や台湾・香港でも成功を収めたドラマをもってしても、韓国市場での商業的成功は難しいのかと、なんとも無念な気持ちになる。違法動画が圧倒的な速さで流通し、正規ビジネスが成立しないという異常事態が改善される日は来るのだろうか。

 
 

プロフィール

大場吾郎

Author:大場吾郎
大学教員であり、メディア研究者。専門は映像メディア産業論やコンテンツビジネス。元々は某キー局勤務。
Twitter:@obagoro

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